「じゃーん! ついにできたの!」
とある休日の、よく晴れた日の昼下がり。
そんな声と共にデオキシスの目の前へ差し出されたのは、白い包装紙と光沢のある薄紫色のリボンでラッピングされた小さな箱、らしきものだった。
すいせいのかけらの端を砕いた直後のこと。が呆然とする様を見たデオキシスは、「何かまずいことをしただろうか?」と首を傾げた。
欠片があればそれを使ったんだけど。そう口にした彼女が何だか考え込んでしまったので、それならば、と欠片を用意しただけなのだが。そう思いながらデオキシスが何度か瞬きをすると、が口を開いた。
「せっかくくれたものだから、大事に飾ろうと思ってたのに……!」
……なるほど? 再び首を傾げたデオキシスのからだのかたちが、いつもの人間に一番近いすがたへ戻る。
どうやらはすいせいのかけらをそのままの状態で飾りたかったらしいぞ、ということを理解したデオキシスは、どうしたものかと判断するべく、砕けた青い石の欠片へ視線を注いだままの彼女の顔を覗き込んだ。
まだほんの少し困惑の色の残る瞳が、デオキシスを映す。一呼吸置いたが、「でも」と口を開いた。
「私のため……だよね?」
デオキシスが素直に首を縦に振ると、は肩から力を抜き、破片になってもなお美しい光を湛えているそれを手にしながら笑った。
「ちょっとびっくりしたけれど……うん、ありがとう。この欠片で指輪、作ってもらうね」
せっかく用意してくれたんだし! と微笑む彼女の手のひらの上で光るすいせいのかけら。それを眺めながら、デオキシスは満足そうに目を細めた。
――そうして、先ほどのの「じゃーん!」に至る。
少しばかり顎を引いたデオキシスは、目の前の箱へ視線を注ぐ。
今しがた、ここらでは滅多に見かけることのないカイリューの姿が窓の外に見えたのだが、その途端にが随分と慌てた様子で外へ向かったものだから、デオキシスは一体何事かと訝しく思っていた。
ちらりと見えたカイリューは郵便マークの入った鞄を肩から提げていたし、あれはこの小さな荷物が届けられたところだったのだろう。
そして、の「ついにできた」という言葉から、ひと月と少し前にミナモシティの店へが持ち込んだすいせいのかけらは、どうやら無事に指輪とやらへと生まれ変わったらしい。
と、先ほどのの行動の答え合わせと箱の中身を予想をしたデオキシスは、へ目を向けた。ふふっといたずらっ子のような笑みを浮かべたが、ベッドへ腰を下ろす。手招きをされたデオキシスは、素直に彼女の隣へ腰を下ろした。
光沢のある薄紫色のリボンをそろそろと解いたは、「ちょっと持っていてくれる?」そう言ってデオキシスの手を取ると、水色の手のひらの上へそれを置いた。
はいはい。デオキシスは頷きながら、手のひらに乗せられたリボンの端をもう片方の手で摘まみ上げた。
よおく見ると薄紫色に薄い水色が混じっていて、部屋の明かりを当てると表面の色が少し変わって見える。それが何だかオーロラのようで、デオキシスがついつい夢中になってリボンに光を当てていると、その間には包装紙も解き終わっていた。
傍らに置かれた、角を揃えてきちんと畳まれた包装紙。それを一瞥したデオキシスは、らしい、とこっそり笑った。
丁寧に解かれた包装の中から現れたのは、小さな紺色の箱だった。夜空のような色をした箱に、デオキシスはリボンを摘む手を止めて視線を落とす。「開けるね」と言ってが蓋に手を添えた。
「わあ……」
そうして開かれた箱の真ん中にあったのは、リングの部分が金色の指輪だった。特に模様などは刻まれていない、シンプルなデザインのものだ。
そして、リングについた石座の上。そこには、カットされて形を整えられたすいせいのかけらが、まるで一等星のように輝いていた。
箱にぐっと顔を近づけて指輪をまじまじと眺めたデオキシスは、右手の親指と人差し指の先でそれを摘まみ上げた。それから、自身の左手と彼女の手を何度も見比べる。
手のひらと、そこから伸びる指。ふたりの手は色が違えど、そのかたちの造りは殆ど同じだ。だというのに、この指輪に肌色の指はすんなり入っても、水色の指はどれも入りそうにない。
デオキシスがパチパチと目を瞬かせると、は「デオキシスの指にはちょっと小さいかもしれないなあ」と笑った。フリーサイズなんだけどね。そう続けて、水色の指から指輪を掬い上げる。
フリーサイズ、とは? すかさず、デオキシスは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。その仕草で、にはちゃあんとデオキシスの言いたいことが伝わったらしい。
「ほら、ここ。リングが途切れているでしょ?」
の言う通り、よく見ると確かにリングには途切れているところがあった。彼女曰く、指で圧力を加えると指輪のサイズを広げたり縮めたりできるのだそうだ。
へえ。感心したデオキシスは頷いて、相槌を打つ。
「どの指にしようかなあ」
指輪と箱を膝の上に置いたが、両手の指をピンと伸ばす。
彼女の体に身を寄せたデオキシスは、目の前の指を端から順にじっくりと眺めた。「めっちゃ肩が押されてるんですけど」なんて楽しそうな声が耳に届いたが、今は真剣に考えているのだからと聞いていないフリをして。
長い時間をかけてそれぞれの指をじっくりと見終えたデオキシスは、ううんと首を捻ったあと、彼女の膝の上の指輪を手に取った。
右の親指。……何だか違うような?
右手の人差し指。悪くない、と思う。
次に中指。これも悪くはない。
そして薬指、小指……。
そうしてすべてを満足のいくまで確かめ終えたデオキシスは、ピンと伸ばされたままの指のうち、の両の薬指を指し示した。
「……薬指?」
デオキシスは頷く。その指を選んだことに、特別な意味はなかった。
ただ、あのミナモシティの店について書かれたスマホの画面をが見せてくれた時、そこに映っていた写真にも、薬指を飾る指輪が写っていた。
それをデオキシスは覚えていて――だからか、何となく、この指が一番しっくりくるように思えたのだ。
左右のどちらの手だったかは、すっかり忘れてしまっていたけれど。
「ふーん……?」
そっかあ。相槌を打ったが、「じゃあ、右か左かなら?」と言葉を続けた。
指輪を持ったまま腕を組んだデオキシスは、先程と同じようにじっくり考えてから、の左手を取った。正直なところ、右と左のどちらも変わらないように思えるが、もしもどちらかしか選べないとしたら、何となく、だった。
回答を示すべく指輪をの薬指に嵌めると、フリーサイズとやらの指輪はすんなりと収まった。特に調整の必要もなさそうに見える。
すいせいのかけらも、自分は最初からここにいましたけど? とでも言うかのように、彼女の左手の薬指の上で違和感なく静かに光り輝いている。
ぴったりだ、とデオキシスは思った。
は自身の左手の薬指で瞬く星を近付けたり遠ざけたりして眺めたあと、満足そうな笑みを浮かべた。
「……じゃあ、デオキシスが選んでくれた指にするね」
それがいい。と肯定するように、彼女の左手の薬指で、すいせいのかけらが星の如く瞬いた。
こうして自身の左手の薬指を飾るようになった指輪を、は随分と気に入ったようだった。
失くしたら嫌だから、という理由で仕事の時は嵌めていないが、それ以外の時は殆ど左手の薬指で星が瞬いているのだ。
ふたりだけが知る孤島の、やわらかな草の上。そろりと足を揃えて降り立ったデオキシスは、を静かにその上へ下ろした。
ありがとう。そう言いながら風に遊ぶ髪を抑えたの左手の薬指で、もうすっかり見慣れてしまった気さえする小さな星が光る。
今日はの仕事が休みで、買い物など片付けなければならない用事もすべて終えたため、それなら、とふたりで散歩に来たのである。
時刻はもう夕方になるところだ。そう遅くないうちに、地平線の向こうへ太陽が沈むだろう。
「んー。風が気持ちいいなあ」
ぐうっと伸びをしたが、大きく息を吐いて微笑んだ。釣られたデオキシスも、目を細める。
「ちょっと歩かない?」
からの提案に頷いたデオキシスは、体のかたちをスピードへ特化したものからいつものかたちへ変化させたあと、彼女の左手を取った。
やわらかな草の上を、並んでゆっくりと歩く。ふたりの間を抜ける潮の香りを乗せた風は、穏やかでやさしい。
この前職場であったことだとか、こんなポケモンを見かけたのだとか、そんなのたわいのない話を聞きながら、デオキシスは彼女の手を握り直した。
繋いでいる手の中指と薬指の間に存在する、少しひんやりとした細い金属の感触。違和感がある、というわけではないが、まだ少し慣れない。そう思いながら、デオキシスはその感触を確かめるように、繋ぐ手に少しだけ力を込める。
「デオキシス」
遥か遠い海面で、マンタインとタマンタの群れが跳ねている。その様子をデオキシスが眺めていると、不意にが口を開いた。
何だ? デオキシスは振り返る。が眩しそうに目を細め、空いている右手で目にかかった髪を払った。
「……ありがとう」
ここへ連れてきたこと……は、先ほども礼を言われたような? デオキシスが首を傾げると、口元をゆるめたは繋いだままの手を持ち上げた。
沈みかけの太陽の光を吸い込んだすいせいのかけらが、眩く光る。
まだ西の空に金星は見えない。夜の帳が降りる中、一足先に夜を迎え、一番星をさきどりしたすいせいのかけらにが視線を落とす。
「すいせいのかけらをくれたこともそうだけど、私がどの石で指輪を作ろうか悩んでいた時に、他のどれでもない、デオキシスがくれたすいせいのかけらで作れって言ってくれたこと」
繋いでいた手をそっと解いたが、右手の指先で指輪をやさしく撫でる。
「やみの石でもこおりの石でも、私が持っていたすいせいのかけらでも、素敵な指輪にはなったんだろうね。……でも、きっと、こんなに特別なものにはならなかった」
デオキシスは目をまるくして、何度か瞬きをして――ふっと笑った。
が、殆ど暗くなりつつある空に左手の薬指をかざす。
「この指輪、ずっと大切にするね」
指輪とか、アクセサリーだとか、自分を着飾るだとか。そういったものの良さを、相変わらずデオキシスは理解していない。この先、理解できる日が来るのかも分からない。
――けれど。
デオキシスは、の左手の薬指を見つめたあと、彼女の横顔をこっそり盗み見る。
けれど。という存在が、自分の贈ったものを身に着けているのはいいかもしれないな。そう、デオキシスは思った。
注がれる視線に気がついたが、すいせいのかけらからデオキシスへと視線を移し、花がほころぶような笑みを浮かべる。
宙に浮かぶ星々を溶かしたようなきらめく眼差しに、デオキシスは得も知れないくすぐったさを覚えた。胸の水晶の辺りが、あるのかも分からない心臓が、何故だかざわついて仕方がない。
――どうしての仕草や言葉ひとつで、自分の奥底の何かが揺さぶられるような感覚に陥るのだろか?
考えても分からないデオキシスは、思わずの左手を掴む。
ふたりの間で、すいせいのかけらが瞬いた。不思議そうな声色の「デオキシス?」がやけに心地よく響いて、デオキシスは体をふるりと震わせる。
空に浮かぶ星の数には遠く及ばないが、それでも数え切れないほど多くの時間をふたりで重ねてきた。
それなのに、デオキシスはまだ、人間は疎か、一番自分に近い彼女のことについてさえも分からないことばかりだ。数えてみれば、きっと知っていることの方が少ないだろう。
それでも。今、確かに「ここ」に存在する感情へ名前をつけるとするならば。それは、きっと――。
(宇宙の彼方よりΔを込めて202511)