デオキシスと。ポケモンと人間。全く違うところばかりで、けれど、どこか似ているところもある。そんなふたりが同じ時を重ねるようになって、多くの日々が過ぎた。

 その間に、デオキシスは気が向いた夜にへ会いに行く生活をやめていた。
 では、どうなったかというと。そこらでポケモンと人間が一緒に暮らしているように、彼もまた、朝から晩まで彼女の家で過ごすようになったのである。
 どうしてそうなったのか、なんて理由はない。
 ただ、気が向いた時にの家を訪れる生活を続けていたら、少しずつ帰る時間が遅くなって、そのうちまるで最初から一緒に暮らしていたかのように彼女の家へ居着いただけのことなのだ。
 デオキシスがこの部屋へ侵入するために使っていた、普段は藍色のカーテンで閉ざされている窓。それも、今や専ら彼が散歩へ出かける時の玄関へと役割を変えている。
 
 そうしてと暮らすようになり、人間についての知識といえば「脆いいきものである」程度しかなかったデオキシスも、今ではそれなりに理解が深まっていた。
 ――深まっていた、はずだったのだ。



 一言で表すならば、困惑。ベッドに座るがそんな表情を浮かべたので、デオキシスは、おや? と思った。パチパチと何度か目を瞬かせたあと、人間に一番近いすがたのまま首を傾げる。
 ジラーチやゴチルゼルのように「みらいよち」はできないが、彼なりに想像した「こうしたら、きっとはこんな反応をするだろう」なんて予想が、これっぽっちも掠らなかったからだ。

「どうしたの、これ」

 が指さした「これ」とは、今しがたデオキシスが机の上に置いた、美しい石のことだ。
 海の青というよりは、人が到底たどり着けない、空の遥か高いところの青。澄み渡った青空よりも濃い青色をした石は、部屋の照明に照らされて、しんと静かで美しい光を湛えている。

 どうしたのかと問われ、デオキシスはへ目を向けたまま、窓の外をちょいちょいと指さした。
 暇潰しに宇宙の散歩をしていたところ、たまたま地球に向かって流れるこれ――すいせいのかけらを見かけたので、「おっ、道端に珍しい石が落ちてるな」くらいのノリで拾ったのである。
 宇宙の彼方でひょいと拾って、わざわざ守りに特化したすがたでバリアーを張り、傷ひとつない状態で持ち帰ってきた。なんて発想には至らない、いや、至れないが、「これが落ちてたの!?」と声を上げた。
 まあ、落ちていたと言ってもいいだろう。そう判断したデオキシスが首を縦に振ると、の眉間に微かにしわが寄った。
 そう、このすいせいのかけらがもっと小さければ、はデオキシスが想像した通りの「わあ、すいせいのかけらだ!」なんて反応を見せただろう。
 ところが、だ。デオキシスが持ち帰ったすいせいのかけらは、彼が両手で抱えるような大きさだったのだ。

「散歩中に見つけたの? この、すいせいのかけ……かけらっていうか、最早かたまりだなあ」

 ベッドから立ち上がり、すいせいのかけらへ近寄ったが「ピィくらいの大きさがあるんだけど……」と零す。
 そんなを見つめながら、丁度いいタイミングでこれを見つけられてよかった、とデオキシスは小さく頷いた。
 この部屋の棚に飾られている彼女のコレクションのひとつと、何だか色が似ているような? そう思って拾ったのだが、もし見つけるのが遅れて大気圏に突入してしまっていたら、この流れ星は大半が燃えていただろう。それどころか、燃え尽きてほんの僅かな欠片すらも残らなかったかもしれないのだ。
 こっそりと誇らしげに胸を張ったデオキシスは、机の上で鎮座するすいせいのかけらにそうっと手を伸ばした。の視線が、青い石から水色の指先へと移る。
 ……それで、これはどこへ飾るのだろう。と、飾るのに良さそうな場所を求めてデオキシスが部屋の中を見回していると、腕組みをしたが首を捻った。

「デオキシス用のコレクション棚もあった方がいいかなあ」

 ねえ? そう尋ねられて、デオキシスは思わず眉間にしわを寄せる。
 といってもそれはほんの僅かな表情の変化だったが、もう長いこと一緒にいるはめざとく気づいたようで、「あれ?」と目をまるくした。
 やれやれ。デオキシスは内心溜息をついた。何故ならこのすいせいのかけらは、他でもない、が喜ぶだろうと思って拾ったものなのだから。
 これは自分のものではないのだと首を振ると、今度はの眉間にしわが寄る番だった。
 不思議そうな表情を浮かべ、「んん?」と首を傾げた彼女へ、デオキシスは呆れたような眼差しを向ける。それから、すいせいのかけらの表面をそうっと撫でたあと、水色の指先でのことを指し示してやった。
 そうすると、少しの間を置いたあと、何度か瞬かせたが驚いた様子で小さく声を上げた。

「えっ! ……もしかして、私にくれるの?」

 一体、他に誰がいるというのか。デオキシスが怪訝そうな表情を浮かべると、は人差し指で頬をかいた。

「ごめんごめん。デオキシスが自分のコレクション用に持ち帰ったのかと……」

 部屋にある、今までに彼女が集めた宝石や隕石といったもの。デオキシスは暇な時に、それらを眺めたり手のひらで転がして遊んでいる。
 だからなのか、はデオキシスもそういった物が好きで、この大きなお宝は彼が自分のために持ち帰ったのだと思ったようだった。
 いいや? デオキシスが首を横に振ると、彼女の瞳は夜空の星を溶かしたようにきらめいた。
 それなら、ありがたくもらっちゃおうかな。くすぐったそうにが微笑んだのを見て、デオキシスは満足そうに目を細めた。



 の机の端に、大きなすいせいのかけらが飾られることになって数日が過ぎた日のことだ。

 藍色のカーテンの隙間の向こうで、凍てついた夜空を飾る白い星がちらちらと燃えている。
 ベッドの縁に腰を下ろして宇宙図鑑の写真を眺めていたデオキシスは、すぐ後ろから「へぇ」なんて感心した様子の声が聞こえたので、見慣れた遠い星たちが並ぶページを捲る手を止めて、毛布の上でうつ伏せになって寝そべるへと目を向けた。
 デオキシスの重心が後ろに偏って、ベッドが少し軋む。スマホで何かを見ていたが、液晶から視線を外して振り返った。

「見てー。ミナモシティに新しくできたお店なんだけど、好きな石を持ち込んで、指輪を作ってもらえるんだって」

 起き上がったが、見やすいように、とデオキシスの目の前へスマホを差し出す。
 言われた通りにスマホの画面を覗き込んだデオキシスは、そこに書かれた文字と色とりどりの石の写真をひとしきり眺めたあと、むむむと顔をしかめた。

 高い知能を持つデオキシスは、彼女と暮らすうちに以前よりも随分と多くの文字が読めるようになっていた。けれど、画面に映る文字を読んでその言葉の意味が分かっても、美しい指輪や石の写真を見ても、の言葉を聞いても、いまいちピンとこなかったのだ。
 と暮らすようになってから得た知識を、デオキシスは頭の中の引き出しからあれこれと引っ張り出してみる。
 ――指輪。人間が指に嵌めているもの。ヤミカラスが好きそうな、キラキラしているもの。それと、何だか邪魔そうに見えるもの……。
 ポケモンの中には自身を着飾る習性を持つ種族もいるものの、そんな習性を持たないデオキシスからしたら、「指輪を作ってもらえる」と聞いても「それで?」というのが素直な感想なのである。

 デオキシスが首を傾げると、はアハハと声を上げて笑った。

「デオキシスは隕石に興味はあるけれど、光り物とか興味ないもんね。いや、私も光り物に興味があるわけじゃないけれど……」

 好きな石で作ってもらえる、っていうのが面白いなーって。そう言いながら、毛布の上へスマホを置いたがベッドから立ち上がり、すいせいのかけらが飾られている机の引き出しの取っ手に手をかける。
 普段開いているところをあまり見ない引き出しは少しだけガタついて抵抗したが、やがて、大きな音を立てると観念した様子で開いた。

 デオキシスはベッドから立ち上がると、すい、と宙を滑っての隣に並び、静かに床へ足をつけた。それから、からだを屈めて引き出しの中を覗き込む。すると、暗くてよく見えない最奥で、何かがほんの一瞬光ったのが見えた。
 一体何が光ったのか。その答えを求めてデオキシスがすぐ隣を見遣ると、口元に弧を描いたは引き出しの奥へそうっと手を差し伸ばし、何かを取り出した。
 引き出しの奥で光ったものが、ひとつ、ふたつ、と机の上へ並べられていく。

 全部でみっつのそれは、小さな小瓶だった。
 それぞれに、全く違う色の、しかし同じようにキラキラと輝く何かの欠片が詰められている。サイズもバラバラだが、おおよそ以前星空をつくるのに使ったラムネと同じくらいだろうか。
 夜空に浮かぶ星を標本にしたようなそれを、デオキシスが興味深く見つめていると、がふっと小さく笑った。

「砂浜を歩いていると、いろんなものが見つかるんだよね。これはやみの石の欠片で、こっちはこおりの石の欠片。これは……ただの青い欠片かな」

 この世界には不思議な石がある。特定のポケモンに与えると、進化を促すほどのエネルギーを秘めた石だ。
 やみの石やこおりの石も、その「不思議なエネルギーを秘めた石」ではあるものの、曰くこれらは砕けてしまった石のほんの一部なので、ポケモンに影響を及ぼすほどの力は宿っていないらしい。
 へぇ、とデオキシスは頷いて相槌を打った。

「綺麗だから見かける度に拾ってたんだけど、その間に他のもので棚がいっぱいになっちゃって。机の奥にしまったままも勿体ないなあっ思ってたから、これで指輪を作ってもらおうかなって思ったの」

 の言葉を聞いたデオキシスは、なるほど、と納得しようとして――ぴたりとからだの動きを止めたあと、「ん?」と首を捻った。
 ――いや、何を言っているんだ? そう思いながら、小瓶を手に、やみの石とこおりの石、どちらの欠片がいいか悩んでいる様子のを凝視する。

「デオキシスはどう――」

 思う? そう続けようとして小瓶から顔を上げたと、デオキシスの遠慮ない視線がぶつかった。
 彼女が何かを口にするよりも早く、デオキシスは右の手のひらをグッと握って開いた。人間と同じようなかたちだった手が、瞬時に鋭さを持った触手状のものへと変化する。
 からだのかたちも攻撃に特化したものへ変化すると、突然のことにが目を見張ったのが分かった。
 デオキシスは触手の先に僅かに力を込める。途端にが手にしていたふたつの小瓶――やみの石とこおりの石の欠片を詰めたものが淡い光に包まれて、するりと彼女の手を抜け出し、宙に浮かび上がった。

「わっ!」

 思わず声を上げたの前で、小瓶は水面に浮かぶ木の葉のようにくるくると回転し、そのまま宙を舞うとやわらかな毛布の上へと着地した。
 小瓶の中で、やみの石とこおりの石がさざ波のような音を立てる。

「えっ、ちょっ……デオキシス!?」

 が慌ててベッドの上の小瓶へ手を伸ばそうとしたので、その手首にデオキシスは素早く片方の触手を絡めた。
 驚いた様子のの目が、デオキシスのことを映す。そんな彼女を他所に、デオキシスはもう一方の触手で、机の上で美しい光を湛えているすいせいのかけらを指し示した。

 ――どうして、何の意味もない欠片をわざわざ使うのか。ここに、自分が他の誰でもない、のために拾ったすいせいのかけらがあるのに。
 の手を開放し、腕を組んだデオキシスは、不満げな様子を隠さずにを見つめる。
 そのまま待つこと、少し。はデオキシスの行動の意味を理解したらしく、困惑した表情のまま「ええっと」と口を開いた。

「すいせいのかけらで指輪を作れってこと?」

 そう。このすいせいのかけらで。と意味を込めてデオキシスは大きく頷いてみせる。は机の上で静かに主張する青くて美しい石をまじまじと観察したあと、ううんと唸った。

「……いや、さすがに大きすぎない!?」

 大きすぎるなら砕けばいいだけでは? そう思ったデオキシスが首を傾げると、そんな考えを知る由もないは、そうだ! と顔を輝かせた。

「それなら、こっちのすいせいのかけらで作ってもらおうかなあ」

 そう言って、が自身のコレクションの並ぶ棚へと振り返る。
 彼女の言う「こっちのすいせいのかけら」とは、コレクションが並ぶ棚で長いこと飾られているものだ。
 随分と昔のことに感じる、ふたりが初めて出会った日。いくつかの透明の箱を手にしたが、「これがほしのかけらで、こっちがすいせいのかけら」なんて言いながら手のひらに乗せて見せてくれたのを、デオキシスは思い出した。
 ベッドの上に転がっているやみの石の欠片やこおりの石の欠片と同じく、いつだったかこの街の砂浜で拾ったと言っていたっけ。
 まさか自分も見つけられるとは思ってなかったから、すごく嬉しかったなあ。そう笑ったの顔を、デオキシスははっきりと覚えている。

 ――でも。
 デオキシスはプイッとそっぽを向くと、先程と同じように、触手の先に僅かな力を込め、「こっちの」すいせいのかけらを流れ星へと変えてしまったのだった。
 ひゅーんと棚を飛び出した透明の箱が、宙で綺麗な弧を描く。気の抜けるような軽い音を立てて、やみの石とこおりの石に続いてみっつ目となる流れ星は、ベッドの上のふたつの小瓶の隣へ着地した。

 指輪とか、アクセサリーだとか、自分を着飾るだとか。そういったものの良さが、デオキシスにはいまいち分からない。
 けれど、せっかく自分がのために拾ったすいせいのかけらがあるというのに、それ以外のすいせいのかけらが指輪とやらになって、それがという存在を飾るのは何だかちょっと面白くない。そう、思ってしまったのだ。

 デオキシスがそこまでして、ようやくはデオキシスの言いたいことがちゃんと分かったようだった。
 ベットの上に辿り着いた流れ星を捉えていた、まるくなったふたつの目。それが何度か瞬いたかと思えばすうっと細くなって、唇からふっと息が漏れた。

「この、すいせいのかけらで、ってことね」

 自身の考えが正確に伝わったので、デオキシスは満足げな表情で頷いてみせる。
 はすいせいのかけらの表面に触れながら、「それができるならそうしたいけれど、やっぱり大きすぎるんだよねぇ」と困ったように呟いた。

「欠片があればそれを使ったんだけど」

 デオキシスがバリアーを張って持ち帰ったすいせいのかけらは、欠片はおろか、傷やひびのひとつさえもないのだ。
 どうしたものかと思案するを見つめたデオキシスは、にっこりと目を細めた。
 なんだ、そんなことか。やっぱり、大きすぎるなら砕けばいいだけなのだ。そう思いながら、触手の先をすいせいのかけらの端に触れさせる。
 それを見たがギョッとして、「え、何を……?」と訝しげな表情を浮かべた、次の瞬間。

 パキン! という、例えるなら水に張った氷が割れるような音とともに、不思議な念波を実体化させる技――サイコショックによって、すいせいのかけらの端は砕けたのだった。

「……。ええー……」

 目の前で起こった出来事を咄嗟に理解できなかったの声が、静かに溶けていった。