トクサネシティの端にある一軒の家。その屋根の上に音もなく降り立ったデオキシスは慎重に辺りを見回して、人ひとり、ポケモン一匹の影すらも見えないことを確認する。
 少しの間を置いてどうやら大丈夫そうだと判断したデオキシスは、機動力に特化したすがたのままもう一度その場に浮かび上がった。すい、と宙を滑るようにして、ひとつの窓の前へ移動する。

 辿り着いた両開きの窓は、相も変わらずたったひとりの訪問者のためだけに開け放たれていた。風にはためく藍色のカーテンの隙間からはやわらかな明かりが漏れている。
 ふう、と息をついてから、デオキシスはカーテンの隙間へ二本の触手を滑り込ませた。カーテンをかき分けて、窓をくぐる時にわざと物音を立てる。するとベッドに寝そべっていたが顔を上げて、目をまるくしたのが見えた。ぽかんと開いた口から数秒遅れて「あ」と声が漏れる。

 勢いよく起き上がって目の前へ駆け寄ってきたをデオキシスは見つめる。するとは肩から力を抜いて「いらっしゃい。久しぶりだね」と安心したような顔で笑った。
 彼女の言葉通り、ふたりがこうして顔を合わせるのは随分と久しぶりのことだった。

「デオキシスが全然遊びに来なくなっちゃったから、何かあったのかなって心配してたんだよ。展示が無事に成功したってこと、ずっと報告したかったんだから!」

 ふたりで星を見に行ったあの日。帰宅したは少しだけ休憩すると展示物の案をまとめにかかった。息抜きをする前に書き留めたものにはすべて取り消し線を引いて、新たに何かを記していく。
 その集中力は凄まじいもので、いつもなら彼女の手元や部屋の棚に飾られたコレクションを自由気ままに覗いていたであろうデオキシスに「せっかく集中しているのにそれを妨げてしまうのも」と思わせて、それらの行動をためらわせるほどだった。

 はひたすらに何かをノートへまとめている。
 さて、どうしたものか。腕組みをしてその様子をしばらくの間眺めていたデオキシスは、やがて音もなく浮かび上がった。そのまま宙を泳いで、自分のためだけに開け放たれていた窓の枠にそっと片足を乗せる。
 小さく振り返って、机に向かう彼女は未だ気がついてないことを確認する。よし。頷くと、デオキシスはまっすぐに前を向いて紺碧の星空の下へ飛び出した。去り際、静かに鍵をかけることも忘れない。

 そうしてデオキシスは展示が行われる日──つまりトクサネ宇宙センターでの三十回目のロケットの打ち上げの日まで、の元を訪れるのを止めたのだった。

 しかしデオキシスにはひとつだけ誤算があった。
 ロケットの打ち上げは三ヶ月後。それは知っていた。しかし人間と違って今日の日付が何月何日、なんて気にすることが一切ないデオキシスには、正確な「三ヶ月後」がいつであるかを知る術がなかったのである。
 今日久しぶりにここを訪れたのは「何となく三ヶ月という時間は過ぎた気がする」と思ったからだ。そんな適当さで行動したので、「展示が無事に成功した」という彼女の言葉からどうやら三ヶ月はとうに過ぎていたらしいことを理解したデオキシスは安堵した。

「まあ、でもデオキシスが元気そうでよかった」

 デオキシスが頷くと、が「そう、それで!」と明るい声を上げた。

「よかったらさ、話を聞いてほしいな」

 へへ、と笑ったの顔は声色と同じく明るい。きっと宇宙センターでの展示とやらはただ成功しただけでなく、とても上手くいったのだろう。再度頷いたデオキシスは彼女の手を取った。
 いつものようにベッドに並んで座って話を聞くのもいい。けれどせっかく久しぶりに会ったのだからあの星空の下で話を聞くのはどうだろう。そんなことを考えながら、今しがたくぐったばかりの窓へと振り返る。
 すると先程までの明るい声が嘘のような「あ、あのー……」という強ばった声が耳に届いた。肩越しにデオキシスはへ目を向ける。そうして見えた彼女の顔は若干青ざめているように見えた。

「外に行くんだよね……? それなら、できるだけゆっくりで……」

 何だ、そんなことか。そう思いながらデオキシスはを両手で抱え上げると、窓からするりと外へ飛び出した。小さく悲鳴を上げて縮こまったが「私の話、聞いてる!?」と不安そうに言うので、デオキシスは大丈夫だと目を細めて笑ってみせる。

「不安しかない……」

 の全てを諦めたような声が、夜のしじまに溶けていった。




 初回の飛行はがひんし状態になる失敗だった。その帰り道は失敗でもないが成功でもなかった。行きと違って倒れることはなかったが、動けるようになるのに少し休憩が必要だった。
 そして今回はたぶん成功らしい。と、自身の腕の中で恐る恐る周りを見回しているを見ながらデオキシスは思った。あの日の行きと帰りには、彼女にこんな周りを見る余裕などなかったのだから。
 デオキシスからしてみれば思わずあくびをしたくなるような速度だ。けれど彼女はポケモンではなく人間で、ひどく脆いいきものなのだから仕方ない。
 デオキシスが観察するようにじっと見つめていると、視線に気がついたと目が合った。

「……展示ね、宇宙にまつわるポケモンの紹介をしたんだ」

 言葉を口にする余裕が生まれたのか、が話し始めたのでデオキシスは僅かに速度を落とした。家を出て随分と時間が経つが、あの日ふたりで行った島にはまだ着きそうにない。

「最初は宇宙がどうのこうのって、難しい話だけど子供にも分かる、そんな展示をしようと思ってたんだけど……。デオキシスにあの星空を見せてもらったら、なんか、それってすっごくつまらないなって思っちゃって」

 デオキシスの胸で輝く、まるで極光を閉じ込めたかのようなきらめきを灯す水晶体。そこを指先でそっとなぞりながらが言う。デオキシスはくすぐったいなと思ったが、大人しく話の続きを待った。

「子供だった頃にね、旅行でカントー地方に行ったことがあるんだ。いろんな街でたくさんのものを見たけれど、その中でもひとつだけずっと忘れられない思い出があるの」

 それは初めて聞く彼女の子供の頃の話だった。突然始まった彼女の子供の頃の話と、展示の話。それがどう結びつくのかデオキシスには想像がつかない。
 それで? デオキシスは続きを促すように首を傾げて相槌を打つ。

「ニビシティっていう街の近くにおつきみ山ってところがあるんだけど……。そこでね、ピッピたちが月の光を浴びて、輪になって踊っているのを見たの。不思議で、それにすっごく綺麗で、ずっと見ていたいくらいだった」

 私はそこでピッピやピクシーのことが好きになったし、それがきっかけで二匹と関係するかもしれない宇宙に興味が沸いたんだろうね。
 少しだけ身動ぎしたが言う。

「デオキシスに星空を見せてもらった時、おつきみ山でピッピたちのダンスを見た時のことを思い出したんだよね。それで、ああそうだ、難しいことは後から知ればいい。それよりもまず、たくさんの素敵なもので溢れてる宇宙に少しでも興味を持ってくれたらいいなって。そう思ったの」

 そうして作り上げられた、宇宙にまつわるポケモンの紹介という展示の結果は。子供だけでなく大人にも好評という大成功だったらしい。いろんな人に喜んでもらえたのだと嬉しそうに語るの顔はどこか誇らしげに見えた。

 話を聞いている間に目指していた島が見えたので、デオキシスは更に速度を落とした。
 数分もしない内に目的地へ辿り着き、やわらかな草の上に灰色の足先をそろりと下ろしてを解放する。若干ふらついたものの、は「ありがとう」と元気な声で言った。
 やっぱり今回の飛行は成功だったようだ。次からはこれくらいの速さで移動することにしよう。そんなことをデオキシスが思っていると、にそっと手を引かれた。

「立ったままだと疲れちゃうし、座らない?」

 草の上に腰を下ろしたの隣に、デオキシスも大人しく腰を下ろす。
 はもう、目の前の絶景とも呼ぶべき星空に夢中のようだった。一心に遠くを見続けるの横顔を眺め、デオキシスはそうっと目を細める。それから遠く聞こえる潮騒に耳を澄まして、彼女と同じように星屑で埋め尽くされた紺碧を見上げた。

 穏やかな時間がゆっくりと過ぎていく。不意にふっ、と小さくが息をこぼしたので、デオキシスは隣に視線をやった。どうかしたのか。そう意味を込めてじっと見つめると、デオキシスの視線に気がついたが振り返った。

「いいなあって思ったことをね、思い出しちゃって」

 そう言ってが話し始めたのは、ロケット打ち上げの日から二週間ほど経った日の出来事だった。




 打ち上げ当日に比べると随分と落ち着いたが、それでもまだトクサネ宇宙センターは多くの人で賑わっていた。

「ねぇ」

 自身の展示近くに立っていたは、ささやくような声で呼びかけられて振り返った。呼びかけたのは、ふわふわのピィのぬいぐるみを抱き抱えた小さな女の子だった。

「どうしたの?」

 しゃがみこんで目線の高さを合わせる。すると女の子は少し悩んだ素振りを見せた後、恐る恐る口を開いた。

「あの、その……。うちゅうって、どんなかたちなの?」

 展示で紹介したポケモンたちのことについて聞かれるのだろうか。そんな予想をしていたは、予想外の質問に少しだけ驚いた。

 ──宇宙のかたち。宇宙は今もなお膨らみ続けているため、そのかたちは誰にも分からないという。
 人間は宇宙へ行く手段を手に入れたが、それでも宇宙の正確なかたちを知るためには気の遠くなるような時間がかかるだろう。
 宇宙を自由自在に飛び回ることができるのなら、その答えも分かるのかもしれないけれど。そう考えたの脳裏に、一匹のポケモンのすがたが思い浮かんだ。

「宇宙のかたち……。そうだなあ……あなたはどんなかたちをしていると思う?」

 がやわらかな笑みを浮かべると、女の子の緊張は少しだけ解れたようだった。ピィのぬいぐるみを抱きしめる腕から僅かに力が抜ける。

「ええと、わたしは……ピィといっしょでおほしさまのかたちをしてると思う」

 どうしてか教えてもらってもいい? が尋ねると女の子は頷いて、内緒話をするような声で話し始めた。

「わたしのママのピィ、ねがいごとってわざをおぼえているの。ねがいごとをするピィって、とてもキラキラするんだよ。……だからね、キラキラしているうちゅうもいっしょなのかなあっておもったの」
「お星様のかたちかあ。いいね、素敵」
 
 ピィがキラキラしていて、同じように宇宙もキラキラしているから。だから宇宙はピィの──お星様のかたち。
 子供ならではの面白い発想に感心したが頷くと、女の子は嬉しそうに微笑んだ。ところが。

「宇宙がピィと同じで星のかたちとか、そんなわけねーじゃん!」

 すぐ近くにいた男の子がと女の子のところへやって来たかと思えば、そんなことを言ったのである。女の子の、ピィのぬいぐるみを抱きしめる腕にぎゅっと力がこもった。

「どうして?」

 はしゃがみこんだまま、男の子のことを見上げるようにして穏やかな口調で尋ねる。すると男の子はつまらなさそうな表情で言った。

「だって、この前宇宙の図鑑を読んだけど、宇宙が星のかたちだとかどこにも書いてなかったし」

 口を尖らせて頭の後ろで手を組んだ男の子と、しょんぼりした様子でピィのぬいぐるみを抱きしめる女の子。それぞれを見遣ってから、は「そう、実はね」と切り出した。
 
「今のところ、誰にも正確な宇宙のかたちは分からないの」
「ほら、やっぱり!」

 男の子が胸を張る。その横で俯いてしまった女の子の顔はよく見えない。けれど、きっと今にも泣き出しそうな顔をしているのだろうなとは思った。

「……でも、誰にも分からないってことはつまり、お星様のかたちをしている可能性もあるってことじゃない?」

 の言葉を耳にした女の子が、ハッと息を飲んで顔を上げた。その目にはほんのりと希望が灯っていて、キラキラと輝いている。

「……ねぇ。きみは宇宙がどんなかたちをしていると思う?」

 が尋ねると、男の子は「えっ」と声を上げた。まさか自分にその質問が振られるとは思わなかったのだろう。目をまるくした男の子に、「こうだったらいいなって思うかたちを教えてくれると嬉しいな」とは両手を合わせてお願いする。
 すると男の子は散々悩んだ末に「……め、メタグロス……」と呟いた。

「理由を聞いてもいい?」

 の言葉に顎を引いた男の子は、おずおずと口を開いた。

「……おれ、宇宙が好きなんだ。ロケットとか、宇宙船とかカッコイイじゃん」
「うん、うん。それで?」
「ポケモンだとメタグロスが一番カッコイイから好きなんだ。だから、メタグロスのかたちをしてたらいいなあって……」
「メタグロスかあ。確かにカッコイイポケモンだよね」

 が同意すると男の子は照れくさそうに目を逸らして頷いた。

「ふふ、教えてくれてありがとう。そうだね、私はピィのかたちをしている可能性も、メタグロスのかたちをしている可能性も、どちらもあると思うなあ」

 さっきも言ったように、まだ誰も答えを知らないからね。そう付け足したが微笑むと、男の子は女の子に向かって「さっきはごめん」と素直に謝った。それに対して女の子が、ピィのぬいぐるみを抱きしめたまま「いいよ」と笑う。

「……おれ、大人になったらロケットで宇宙に行ってみようっと! それで、メタグロスとピィ、どっちが正解か見てくるんだ」
「わ、わたしも見にいく!」

 あっという間に打ち解けてしまった様子の二人の微笑ましい会話を耳にしながら、しゃがんだままだったは立ち上がる。
 さて、そろそろ休憩時間だ。遅めの昼食にして──そう考えながら「それじゃあ、いつか答えがわかったら私に教えに来てね」と口にしようとした時だった。

「おほしさまいっぱいの空ってきれいだし、ミロカロスのかたちをしていると思うなあ」
「えー、ちがうよ。宇宙ってふしぎがいっぱいだし、リグレーのかたちだよ!」

 どうやら先程までの会話が耳に届いていたらしい子供たちが更にやって来たのである。
 四人の子供が誰も答えを知らない宇宙のかたちについて自由に語り出したので、あっという間にの周りは賑やかになった。

「おねーさんは!? おねーさんはどんなかたちをして居ると思う?」
「えっ、私?」

 まさか自分まで質問されるとは。そう思いながら、好奇心で星のように輝く子供たちの目を見つめ返したはううんと唸った。
 ピィと同じようにキラキラ輝くからお星様のかたち。カッコイイものが好きだからメタグロスのかたち。星空は綺麗だからミロカロスのかたち。宇宙は不思議でいっぱいだから同じように不思議なリグレーのかたち。
 子供たちが自由に描いた、同じものがひとつもないそれぞれの宇宙のかたち。それらを頭の中で並べながら、も自分だけの答えを描いて口を開く。

「うーん、そうだなあ。デオキシスのかたち、かな?」

 の答えに子供たちは不思議そうな表情を浮かべた。

「デオキシスって、うちゅうウィルスから生まれたって書いてあるあのポケモン?」

 が制作した展示物の「うちゅうウィルスから生まれたポケモン!?」と書かれた箇所を指さしたのは、「宇宙はミロカロスのかたち説」を唱えた女の子だ。が頷くと、子供たちは揃って疑問を口にする。

「なんで?」
「おれ、あんなポケモン見たことない」
「リグレーみたいに不思議だから?」
「ピィみたいにキラキラするの?」

 子供たちに囲まれながらは思い出す。宇宙に限りなく近い星空を、ふたり並んで見た日のことを。

「宇宙のことを考えると、デオキシスのことが思い浮かぶの。だから、宇宙はデオキシスのかたちかなって」




 みんながそれぞれ好きな宇宙のかたちを描いているのがとてもよかった、というの話を聞き終えたデオキシスはついつい笑ってしまった。目を細めて肩を揺らす。すると笑われたことが恥ずかしかったのか、はデオキシスのことを肘で小突いた。

「デオキシスは宇宙の本当のかたちを知っていたりするの?」

 いいや? デオキシスが首を横に振ると、は残念そうに口を尖らせる。

「そうなんだ。宇宙へ自由に行けるデオキシスでも知らないんだね」

 腹の上で手を組んだは草の上へ仰向けに寝転がった。ふたりの間を微かに潮の香りを乗せた風が流れていく。

「……それなら」

 デオキシスが遥か頭上を眺めていると、寝転がったままのから声がかかった。デオキシスは一等眩く輝く星からへ視線を落とす。星明りと好奇心できらめく目と目が合った。

「デオキシスは宇宙がどんなかたちをしてると思う?」

 宇宙がどんなかたちをしていると思うか。その質問の答えは、デオキシスにとって考えるまでもないものだった。

 から視線を外し、星空を一瞥したデオキシスは静かにからだのかたちを変化させる。彼が思うに、たぶん一番人間のかたちに近いすがただ。彼女に倣ってやわらかな草の上へ仰向けになったデオキシスはを見遣る。
 突然すがたを変えたからか、真似をして寝転がったからか。はデオキシスのことを凝視していた。そんな彼女のことを、デオキシスは水色の指先──人間でいうところの人差し指で指し示す。

 の話を聞いたデオキシスが笑った理由。それは同じだと思ったからだ。

 ──意識してそうしている訳ではなかった。けれど星の海を漂っている時も、空を覆う星の天蓋を地上から眺めている時も、気がつけばのことばかりを考えていた。会わずにいた間、いいやきっと、それよりもずっと前から。
 自由に宇宙へ行けることを羨むをここへ連れてくることができたらいいのに。この景色を見せることができれば喜ぶだろうに。誰よりも一番近いところで星の瞬きを見る度に、何度そんなことを思っただろう。
 と出逢ってから今に至るまで、いくつもの宙を見た。そのすべてに、確かに彼女のすがたがあったのだ。

 宇宙に触れる度、どうしようもなくのことが思い浮かぶ。だから、宇宙はきみのかたちをしている。
 それが、デオキシスの答えだった。

「……私?」

 デオキシスが頷くと、はようやく自分の話が笑われたわけを理解したようだった。「なあんだ、同じじゃん」そう言って目を細めたは、先程のデオキシスがしたように肩を揺らして笑いだす。
 だから、今度はデオキシスがのことを肘で小突いてやる番だった。


(宇宙はきみのかたち/20221209)