周りを海に囲まれた名も無いような小さな島に、とボーマンダはいた。柔らかく地面を覆う緑の上に腰を下ろすの隣で、ボーマンダが空を仰ぐ。喧騒とは一切無縁のような空間には潮騒とざわざわと柔らかい草の波が揺れる音だけが響いていおり、ひどく心地がよい。
 そんな心地よさに心を預けながら、はふとボーマンダに視線を向け、まるで世界に二人きりみたいだと思った。二人の周りだけ時間が流れていて、それ以外は時間が止まってしまったかと思える程に静寂に包まれているのだ。

 空を仰いでいたボーマンダは自分を見つめるその視線に気が付くと、ぎゃう、と不思議そうに声を上げてへと顔を向けた。

 「ううん、何でもないよ。ちょっと考え事をしていただけ」

 二人きりみたいだと思ったなんて口にしたら笑われてしまうだろうか、そう考えたがはぐらかすと、ボーマンダ眼を細めてからの肩に額を押し付けた。
 大きな体のわりにには甘えたがりな一面のあるボーマンダの、に撫でてほしい時の癖だ。それを知っているはボーマンダの頬に手を添えると、額を撫で、それから顎と首を撫でてやった。ボーマンダの喉がぐるぐると気持ちよさそうに鳴る。


 ボーマンダの嬉しそうな表情に、自然との口元も弧を描く。

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 もしもが二人の出逢いはどんなものだったっけと尋ねたら、ボーマンダは決していいものではなかったと答えるだろう。

「……あなた、もしかして飛ぶのがへたなの?」

 何故なら、それがのボーマンダへの第一声なのだ。


 とボーマンダが出逢ったその日、トレーナーズスクールの同じクラスの男の子たちが「この前街外れの山の麓でボーマンダを見かけた」なんて噂をしていたものだから、好奇心旺盛なはスクールが終わった後に「友達と遊んでくる」と親に嘘をついて、その噂を確かめに一人でこっそりと山の麓へとやって来た。
 山の麓には野生のタツベイが生息しているのは知っていたが、ボーマンダがいるというのは初耳だったのだ。

 どこにいるんだろう。本当にいるのなら見てみたいな。わくわくとした気持ちであちこち見回していると、不意にどこからか物音が聞こえた。それを耳したは、物音を頼りに近くの叢を掻き分けていく。すると人目につかないような草木で遮られた場所に、なんと噂通りにボーマンダの姿が見えた。

「本当にボーマンダだ……!」

 思わず小さく感嘆を漏らしながら、はそっと木の陰からボーマンダの様子を窺う。

 そうして暫くは初めてボーマンダをすぐ目の前で見ることが出来たという感動での気持ちも輝いていたが、それもすぐに萎んでしまった。
 何故ならボーマンダの様子がおかしいのだ。よくよく見れば体は傷だらけで、あちこち砂に塗れている。その上翼を大きく羽ばたかせてふわりと浮き上がったかと思うと、じぐざぐに飛んだ後にずしんと音を立てて地面に落下したのだ。

 その様子を見ていたは、思わず木の陰から飛び出してボーマンダの傍へと駆け寄った。そしてその姿を眼にしたボーマンダはまさか人間が見ているとは思わなかったのか、驚いたように眼を見開いた後、あからさまに嫌そうな顔をして後退る。
 しかしはそんなボーマンダの様子を気にする素振りも見せず、つい気になったことを口にした。

「……あなた、もしかして飛ぶのがへたなの?」

 の言葉を聞いたボーマンダは、うぎゃ、と声を上げるたかと思うとがくりと肩を落とした。そう、このボーマンダは、の言葉通り飛ぶのが苦手だったのである。

 タツベイというポケモンは生まれながらにして空へと強い憧れを抱くことで知られているポケモンだ。このボーマンダも例外ではなく、生まれた時からずっと大空へと憧れを抱いていた。そして他のタツベイ達と同じように高い所から飛び降りてみたり、何度も他のポケモン達とのバトルを繰り返して自分自身を鍛え、コモルーへと進化をし、さらに先日漸くボーマンダへと進化を遂げたのだった。
 そうして進化を遂げたはいいものの、ボーマンダはどうにも飛ぶことが苦手だった。自分と同じ頃に生まれたタツベイ達は同じようにボーマンダへと進化を遂げ自由な大空へと旅立っていったというのに、このボーマンダだけは上手く飛ぶことが出来なかったのである。

 そしてこの人目につかない場所で、ひたすら飛ぶ練習をしていたのだ。

 ボーマンダの落ち込みようを見たは、いきなり失礼なことを言ってしまったなと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。それから失礼なことを言ってごめんなさい、と頭を下げる。ボーマンダはしょんぼりとしたような顔でを見つめた。

「あの、けがは平気?」

 恐る恐る一歩ボーマンダの方へと踏み出したが尋ねると、ボーマンダは気落ちした様子のままこくりと頷いた。タツベイの頃から高い所から飛び降りて傷を負うなんてことは日常茶飯事だったので、特に気にも留めていなかったのだ。
 ボーマンダが頷いたのを見ると、は感心したように強いのねえ、と笑う。それから何かを思いついたようにそうだ、と声を上げた。ボーマンダが不思議そうに首を傾げる。

「わたし、っていうの。ねえ、もしよかったら、ここであなたが飛ぶ練習をしているところを見ていてもいいかなあ?」

 それを聞いたボーマンダは、げえ、と驚いたような顔をした。正直上手く飛べないところなんて見られても恥ずかしいだけだろうと思ったのだ。しかし眼の前できらきらと瞳を輝かせてると名乗った少女の顔を見ると、駄目だと首を振るのは少し憚られた。
 暫く悩んだ末に仕方なくボーマンダが小さく頷くと、はありがとう、とはにかんだ。それから邪魔はしないから、と意気込んで見せる。ボーマンダはその笑顔を見ながら、何だか妙なことになったなあと思ったのだった。


 ボーマンダの先導で二人は近くに川がある開けた場所へと移動すると、は腰を下ろすのに丁度いい切り株に座り、ボーマンダは少し高い岩の上に飛び乗った。空を飛ぶのは苦手だが、岩の上に飛び乗る程度のことはできるのである。
 岩の上に立ったボーマンダは、ちらりとへと眼を向ける。はというとボーマンダを真っすぐに見つめていて、頑張って、と手を振った。

 誰かに見られて飛ぶのは余計に緊張するぞ、そんなことを考えながら、ボーマンダは赤い翼を力強くはばたかせた。途端にふわりと体が浮き上がり、ボーマンダはそのままぐんぐんと高度を上げていく。

 そして、やっぱりボーマンダは地面へと落ちたのだった。


「すごい音がしたけれど、大丈夫……?」

 ボーマンダが落ちたことで上がった砂煙に咳き込みながら、ボーマンダの元へとやって来たが声を掛ける。ボーマンダはむくりと起き上がると同じように咳き込んでから気まずそうに頷いた。
 しかしこの程度では凹んでいられないと、ボーマンダはすぐにまた翼を力強くはばたかせる。慌ててが離れると、ボーマンダの体はまた先程と同じように浮かび上がった。



「……いいかんじだと思ったんだけどなあ」

 結局あの後も地面に落ち、計十回以上地面に落ちたボーマンダの傍に立ちながらが苦笑する。ボーマンダは傷を負った前足をぺろりと舐めると、はあ、と大きな溜息を吐いた。
 そんなボーマンダの様子にもしょんぼりとした表情を浮かべたが、すぐにはっとしたような顔をすると口を開いた。

「私、そろそろ帰らなきゃ!また明日、練習見に来るね!」

 ボーマンダはその言葉に明日も来るのか、そう思ったが、その時にはもう既には元来た道の方へと走り出していたので、何とも言えない気持ちでその後姿を見送ったのだった。

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 その次の日、は子供が背負うには少し大きいリュックを背負ってボーマンダの元へとやって来た。ボーマンダはの姿を眼にするとぎょっとした顔をして見せる。それからその大きなリュックはなんなんだ、と興味深そうにの背を見つめた。

「これはねー、……そうだなあ、昨日の川のところについたら見せてあげる!」

 はそう言うと先に昨日の川のある少し開けた場所の方へと向かって歩き出してしまったので、ボーマンダは仕方なくその後を追った。


 そして昨日の場所に着くと、はまた切り株に腰を下ろした。それからリュックを下ろすと、ボーマンダに見えるように開く。

「あなた、けがをたくさんしてるでしょ。だから、きずぐすりと、きのみ!」

 練習をしたらお腹が空くもの。そうが笑って見せると、ボーマンダは呆れたような表情を浮かべ、それから釣られたように笑ってしまった。昨日逢ったばかりなのに、自分のことを考えてくれたのか、と。人間が自分のために何かをしてくれるというのは、ボーマンダにとって何だか不思議な気分だった。


 その日から、とボーマンダは少しずつ一緒に過ごすようになった。最初こそ「人間に自分の上手く飛べない姿を見られるなんて」と思っていたボーマンダだったが、が純粋に応援してくれることが少しずつ嬉しいと思えるようになったのである。
 何より上手く飛べないことで沈んだ心を、の明るさが和らげてくれたのだ。



 そうして少しずつ、ボーマンダが前よりは長く飛べるようになったある日のことだった。

 その日もいつものようにあの川の近くの開けた場所にいたは、空を見上げていた。前よりは長く飛べるようにはなったものの、まだどこかふらふらとしているように見えるボーマンダの姿が見える。
 がんばれ、がんばれ。そうが心の中で応援していると、どこからかがさがさと叢を掻き分ける音が聞こえた。その物音に、は空を見上げるのをやめて後ろへと振り返る。

「あ……!」

 叢の向こうに、何か野生のポケモンがいる。そう気づいたは慌てて切り株から立ち上がると後退る。この場所へ来るようになってから当然何度も野生のポケモンの姿を見たことはあったが、大抵は小さなフラベベだとか、ビッパのような可愛らしいポケモンばかりだった。

 しかし、今の目の前に飛び出したポケモンは、ペンドラーだった。
 
 姿を現した大きなペンドラーに、は思わず悲鳴を上げる。ペンドラーといえばとても攻撃的な性格として知られているポケモンだ。このペンドラーもやはり攻撃的な性格のようで、ぎらつく瞳でを睨んでいる。はペンドラーのその輝く瞳に息を呑むと、そのまま腰を抜かしてしまった。

「ぼ、ボーマンダ!たすけてっ!」


 素早い動きを誇るペンドラーがくるりとに背を向けたかと思うと、その勢いで毒の滲む尾を振り上げた。あのポイズンテールを受けたらどうなってしまうのだろう。まるで他人事のように、は振り下ろされる尾をスローモーションのように見つめていた。

 しかしその尾がに届くよりも早く、腰を抜かしていたのすぐ上を大きな影が通過した。巻き起こった突風にの髪や服の裾が舞い上がる。そしてずん、という音と共に地面が揺れた。

「きゃあ!」

 突然の強い風と衝撃に目を瞑り悲鳴を上げただったが、恐る恐る目を開くと、あっと声を上げた。

 ボーマンダが、を庇うように眼の前に立っていたのである。先程の上を通過した大きな影は、ボーマンダだった。そしてそのままペンドラーに突進し、ペンドラーのことを吹き飛ばしたのだ。

 突進を受けて吹き飛ばされたペンドラーが起き上がると、ボーマンダは牙を剥き出しにして唸り声を上げた。ペンドラーも首のトゲを動かし、そしてぎいぎいと不気味な鳴き声を上げて威嚇する。そのまま暫くの間じりじりと睨みあっていた二匹だったが、軈てペンドラーは諦めた様子で再び叢の向こうへと姿を消した。

 ペンドラーが姿を消したのを確認すると、はほっと胸を撫で下ろした。それから未だに叢に向かって警戒をしているボーマンダの名を呼んだ。

「助けてくれてありがとう……!」

 振り向いたボーマンダにがそう告げると、ボーマンダもほっとした様子で笑う。しかし次の瞬間、今度はが大きな声を上げたのでボーマンダはびくりと肩を揺らした。

「そういえば!さっき、飛べてたよね!?」

 興奮した様子でが立ち上がると、ボーマンダもはっとしたような顔をして見せた。

「……もしかして、気がついてなかったの?」

 が眉間に皺を寄せて尋ねると、ボーマンダは苦笑した。空をふらふらと飛んでいての方をちらりと見た時、何か大きなポケモンの姿を捉えたボーマンダは無我夢中での元へと向かっていたのだ。どうやって飛ぶかなんて考える暇も無いほ程に焦っていたのである。

 ボーマンダの顔を見たは、思わず吹き出してしまった。それから大きな声を上げて笑う。

「もう!でも、ちゃんと飛べるってわかったんだもん!よかったね!」

 その言葉に、ボーマンダも笑顔で頷いた。今までは「もしかしたら自分はこのままずっと飛べないのでは」と思うこともあったが、それは違うと、しっかりと飛べるのだと分かったのだ。



 そうして自分は飛べるのだということが分かった日から、ボーマンダは自信がついたのかみるみる飛ぶのが上達していった。
 やがて飛ぶのが上手くなったボーマンダにが「乗せてほしい」と言っても、ボーマンダは初めて逢った時のような嫌な顔は見せず、笑顔で頷いた。ボーマンダも飛ぶ練習をしている内に、いつかを乗せてやれたら、と思っていたのだ。

 そんな二人が一緒に旅に出るようになったのは、当然の流れであった。自分のポケモンを持って旅に出ることが認められる年齢になった時、親に「はどんなポケモンを連れて旅に出たいの?」と尋ねられ、ボーマンダだと答えた時には驚かれたのも最早懐かしい。
 
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「ねえ、ボーマンダ。ありがとう」

 懐古するのをやめたが口を開く。今まで静かにたそがれていたはずのの突然の言葉に、ボーマンダはきょとんとした顔で彼女の目を見返し、それからぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「私ね、とっても嬉しいの。ボーマンダとこうしていろんな所に行って、二人でたくさんのものを見ることができて……」

 の言葉を最後まで聞かずに、ボーマンダは彼女の頬をその大きな舌でぺろりと舐めた。それから口を開けて笑って見せる。まるで、そんなこと、今更。そう笑っているようだ。

「これからも、私にたくさんの世界を見せてね」 

 当然だというように頷いたボーマンダの後ろに広がる空と海の青の美しさに、は目を細めずにはいられなかった。何より美しいと思うのは、目の前に立つ竜の体の青だけど、と思いながら。

青で彩られる世界
ボーマンダ/6位



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