ここはホウエン地方の南の海に浮かぶ、小さな孤島。その孤島に広がる草原の上で、とラティアスは並んで座っていた。頭上に広がる空は高く、都会では決して見ることが出来ないような眩しい銀河が燃えている。
今日、とラティアスは流星群を見ようとこの誰もいない南の孤島へと訪れていた。
一年を通して幾つかの流星群を観測することができるが、今日見ることができる流星群はプロトーガ座流星群だ。とラティアスは、流星群を観測することができる日には決まって二人でこの南の孤島を訪れるのである。
「あれが、ウォーグル座。その隣がスワンナ座。そしてあれがスコルピ座でしょ。それから……」
が夏の夜空を指しながら呟く言葉を耳に、美しいという言葉だけは形容し足りないような星を眺めていたラティアスは、そっと隣に座る彼女の顔を盗み見た。の瞳には眩しい星の明かりが映り込んで、そこにもう一つの宇宙を作り出している。
思わず盗み見たことも忘れてその瞳をラティアスが見つめていると、さすがにもラティアスの視線に気が付いたようだった。夜空へと向けられていた視線がラティアスへと移る。
「……どうかした?」
が不思議そうな顔で尋ねると、ラティアスはゆっくりと首を振って彼女の体に擦り寄る。ぐいぐいと押し付けられるラティアスの体を抱きとめながら、はラティアスの首を撫でてやった。眼を閉じたラティアスの喉が、心地よさそうに鳴る。
そうして暫くの間じっとしていると、ラティアスは眠くなってしまったようだった。ふあ、と気の抜けた声で欠伸を一つ漏らす。南の孤島へ来る前には水遊びをしていたし、その後には南の孤島へ飛行したので疲れてしまったのだろう。そう考えたはラティアスの顔を覗き込むと、背中をぽんぽんと優しくあやすように叩いた。
「ラティアス、少し眠ったら?」
流星群のピークは日付が変わってからだと家を出る前にテレビのニュースで確認済みだが、その時間まではまだ余裕がある。だから日付が変わる頃に起こしてあげるよ、そうが告げると、ラティアスはううん、と少し悩む素振りを見せた。そしてもう一度欠伸をしてからの膝に頭を乗せて、くるると鳴く。どうやらの言う通りにするらしい。
「おやすみ」
の声を聞きながら、ラティアスはゆっくりと微睡んでゆく。は自分の膝に頭を乗せてすやすやと寝息を立てるラティアスを見つめ、それから夜空を見上げるとラティアスと出逢った頃のことを思い出した。
+++
ラティアスとが出逢ったのは、がまだ小さな子供だったくらいずっと昔のことだ。
その日はテッカニン達による蝉時雨が、乾いた空によく響いていたとは記憶している。
母に用事を頼まれて街の外れにある祖母の家へと寄った帰り道、は祖母にもらったアイスを食べながら、のんびりと家に向かっていた。
その途中、ははたと足を止める。それは滅多に来ない街の外れにある大きな公園の前だった。
街の片隅にある大きな公園。その公園は至る所に水路があり、多くのポケモン達の憩いの場になっていた。それにも関わらず人があまりいなかったのは、遊具が錆びて古ぼけたブランコと、色褪せた滑り台くらいしかなかったからだろう。街の中央には新しい公園が作られて、そこには新しい遊具がたくさんあったため、多くの人はその新しい公園をよく利用していたのだ。
アイスを一口かじりながら、寄ってみようかなとは考えた。冷たいアイスを食べながらとは言えど夏の暑さで汗をじっとりとかいていたし、たくさん歩いて足はくたくただったのだ。少し涼んでから帰ろう、そう決めるとは公園の中へと入っていった。
公園の中は所々大きな木が繁っていて日陰があることと、水路があるためとても涼しかった。その上木々の陰にはナゾノクサや飛び交うミツハニー、そして水路にはウパーやマリル達が時々泳ぎ去っていくのが見えて、疲れたの気持ちを弾ませてくれる。
そうしてが街では見ることができないポケモン達に気を取られていると、地面に少し盛り上がっていた木の根に躓いてしまった。あっと思った時にはもう遅く、はバランスを崩してしまい、更にはその手からまだ半分程残っていたアイスが離れていってしまう。
しかしが地面にぶつかることはなく、もう少しで地面にぶつかるというところで彼女の体は止まった。不思議な力が働いて、の体を支えたのだ。
ぎゅうと目を瞑っていただったが、倒れなかったことに気が付くと、一体どうしたことだろう、と恐る恐る目を開く。するとまたも不思議な力が働いて、バランスを崩した体制のままでぴたりと止まっていたの体をすとんと地面に立たせてくれた。
不思議そうに辺りを見回すと、は思わず声を上げてしまった。何故なら、手から離れていってしまったアイスが空中に浮かんでいたからだ。思わず空中に浮かぶアイスを凝視していると、アイスはその場から少しだけ浮かび上がって、一口分がどこかへ消えてしまった。
「えっ?えっ?」
自分を誰かが助けてくれたこと、アイスが空中に浮かんでいること、そして確かに「見えない誰か」がアイスを一口かじったこと。たった今目の前で起きた不思議なことにが慌てふためいていると、きゅるると楽しそうな笑い声が響いた。
途端にの目の前の空間が歪み、光を乱反射する。そして姿をを現したのが、むげんポケモンのラティアスだったのだ。
ラティアスはこの水路のある公園が気に入っていて、こっそりと棲みついていたポケモンだった。珍しくこの公園に人間が遊びに来たことに気が付いて、の様子をそっと伺っていたのである。そしてが躓いた時、彼女の体とアイスをサイコキネシスで浮かせ、助けてくれたのだ。
「あなたが助けてくれたのね」
がおばけじゃなくてよかった、そう笑いながら礼を言うと、ラティアスはアイスを持つ手とは反対の手を口に当ててクスクスと笑った。それから溶けたアイスがぽたりと手に落ちたことに気が付くと、へとアイスを差し出す。
「そのアイス、美味しかった?」
ラティアスはの質問にきょとんとした顔をしたが、すぐに眼を細めて頷いた。
「私の食べかけだけど、もしよかったら食べる?」
助けてくれたお礼に渡せそうなものがそれしかないや、とが困った顔で肩を竦めると、ラティアスは瞳を輝かせる。それからアイスをぺろりと舐めると、空いている手を頬に当ててきゅうんと鳴いた。どうやらアイスを気に入ったようだ。それを見たは、ラティアスが可愛らしくて笑ってしまった。ラティアスが釣られたように笑い声を上げる。
その夏の日から、とラティアスは殆ど毎日を一緒に過ごすようになった。
遊び場は勿論あの街外れの公園で、水路の浅いところで水遊びをしたり、ブランコに一緒に乗ったり、公園にいたコリンクと鬼ごっこをしたり、一緒にいないことの方が少ないほどだった。お互い新しい友達ができたことが嬉しかったのだ。それは二人が成長して、やがてが旅に出ることになっても変わらなかった。
旅に出ることを決めた時、はラティアスは一緒に行こうと誘ったら来てくれるだろうかと悩んでいた。ラティアスは棲み慣れた公園に残ると言うのではないか、そう思ったのだ。しかしその心配は杞憂に終わる。
が旅に出ることにしたのだと告げた時。ラティアスは彼女の言葉の続きを聞く前に、勝手にが持っていた荷物を漁ると空のモンスターボールに入ってしまったのだ。
「一緒に来てほしいって誘おうと思っていたのに!」
ラティアスはモンスターボールから飛び出すと声を上げていつものように笑った。無邪気な性格でイタズラ好きなラティアスらしい行動に、は口先だけでは「もう」なんて溜め息を吐いていたが、その表情は隠しきれない喜びに緩んでいた。
ラティアスとの二人は、ずっと一緒に過ごす内に確かな信頼と絆で結ばれていたのだ。
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昔のことを思い出すの目は、自然と楽し気に細められていた。しかし夜空に一筋の光が走ったことに気が付くと、途端に驚いた表情を浮かべる。それからすぐに自分の膝の上に頭を乗せて心地よさそうに眠るラティアスの体をぽんぽんと軽く叩いた。
「ラティアス、ラティアス」
が声を掛けると、ラティアスはすぐに眼を覚まして飛び起きた。草原の細かな草がぱっと舞い上がる。
「今ね、流れ星が見えたの。これからどんどん増えてくるかも」
ポケナビを確認すると、日付もいつの間にか変わっていた。ラティアスは宙に浮かび上がってからぐっと伸びをすると、の隣で夜空を見上げる。
流星群はピークを迎えつつあるようで、の言葉通りにどんどんその数を増していった。眩い無数の星から成る夜空の河を、いくつもの白い星が走っていく。満天の星空は、手を伸ばせば届くのではないかと錯覚する程に美しい。
「綺麗……」
溜息と共に言葉を吐き出すと、は両手の指を祈るように絡めた。そして長い尾を引く流れ星が見えると、そっと目を閉じる。
少しの間を置いてが顔を上げると、何を願ったの、と言いた気な様子でラティアスが顔を覗き込む。するとは楽しそうに目を細めて口を開いた。
「ラティアスと、来年もまたこの流星群を見られますようにって」
ふふ、と少しだけ恥ずかしそうに笑ったにラティアスは飛びついた。流星群を見る度に同じことをお願いしてるじゃない。それにそんなこと、願わなくたって叶うのに、そう思ったからだ。
「ラティアスは何か願い事をしないの?」
じゃれつくラティアスに擽ったそうにが身を捩りながら尋ねると、ラティアスは首を縦に振る。それを見たは、ええ、と驚いたようにラティアスを見つめた。
「こんなに星が流れているのに。何も願い事をしなくていいの?」
願い事が無い訳じゃないでしょう、と続けられて、ラティアスはうん、と頷く。それならどうして?とは尋ねたが、ラティアスは機嫌良さそうに鼻を鳴らすだけだ。はそんなラティアスのことを不思議そうに見つめていたが、軈てラティアスが満足そうな表情を浮かべていることに気がつくと、まあいいかと納得したようだった。
そうして二人でまた夜空を見上げると、また幾つもの星が流れていくのが見えた。まるで夜の闇と静寂を裂いていくようだ。その中でも一際眩い星が流れると、あっとが口を開く。
「わ、今の見た?今の流れ星、大きかったよね?」
夜空を見上げ、瞬く星のように瞳を輝かせてはしゃぐに、ラティアスは星のように美しい金色の瞳を細めた。それからの背に飛びついて、後ろから彼女の頬に自分の頬を寄せる。そしてそっと、の耳元で囁いた。
──、大好きよ。だから、ずっと私のそばにいてね。
ラティアスの言葉は人間とポケモンの種族の違いという壁に阻まれて、言葉ではなく鳴き声としての耳に届いた。
それでもラティアスの伝えたい気持ちは、二人の間に長い時間を掛けて築き上げられた確かな絆によって伝わったようだった。少し驚いたような顔をしたかと思うと、は夜空に向けていた視線をラティアスへと移し、それから微笑んでみせる。
「分かってるよ」
ラティアスが願い事をしない理由は、流れ星に願わずとも、自分の願いはがそばにいるだけで叶ってしまうからだ。
それを知らないはラティアスの手を引くと、柔らかな草の絨毯に仰向けになった。手を引かれたラティアスは、翼を折り畳むと同じように仰向けになる。
それからは、僅かに体を傾けて自分のことを見つめるラティアスの手を優しく握り締めて目を閉じた。
「……私もラティアスが大好きだよ。誰よりも、一番にね」
無数の星屑が散らばっている夜空は、まだまだその深い海のような色を変えそうにない。星の河もまだはっきりとそこにある。いつの間にかが小さく寝息を立てていることにに気が付いたラティアスは、幸せそうに眼を細めるとそのまま眼を閉じた。
何だかすぐには眠れそうにないや。そう思いながら、ラティアスはこっそりと微笑んだ。
ラティアスの瞼の裏には二人で見た眩しい銀河の残光が焼き付いていて、先程のの言葉が余韻を残している。
星屑のエデン
ラティアス/8位
ラティアス/8位