※USUMの主人公がデフォルト名の「コウミ」で登場します。
ウルトラデザート――それがわたしの故郷につけられた名称らしい。
わたしは今、ではないひとりのにんげんとウルトラデザートの大地に立っている。
どこまでも果てのない青い空。白い砂の海。日の光に輝く青緑色の鉱石。頬を撫でるそよ風と、揺れる緑色の植物。
知らない世界で過ごす内に薄れ、記憶の奥底に沈んでしまっていたものと何ひとつ相違ない景色が目の前に広がっている。
長らく思い出すことのなかった故郷を久しぶりに見ているというのに、感想は「そういえばこんな場所だった」というものくらいしか思い浮かばない。我ながら味気ないなと思う。
故郷を構成するものを順番に眺めてから、白い砂の上を数歩だけ歩く。足の先が僅かに沈む感覚に、わたしはまた「そういえばこんなものだったな」と思った。
ここにはたくさんの色が溢れている。太陽が燦然と輝いて光が満ち溢れている。
だというのに、どうしてこうも色褪せて見えるのだろう。どうして呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しいのだろう。
ふるりと首を振って、からだの隅々まで行き渡らせるように深く息を吸った。けれど相も変わらず景色は色褪せたままで、息苦しさは消えてくれなかった。
「フェローチェ。どうですか?」
不意に後ろから声がかかった。以外のにんげんから名前を呼ばれるのは正直不快だ。けれど、わたしは大人しく振り返る。不機嫌さを隠すつもりはない。
「つまらなさそうですね。うーん。それじゃあ予定よりかなり早いですが、帰るとしますか!」
わたしの顔を見た彼女は明るい声でそう言って、肩から提げた鞄へ手を伸ばす。そこから取り出されたのはひとつのボールだ。青色のボディに、白に近い水色のラインが網目のように走っている。
黄色の装飾が施されたそれをわたしへ向けた彼女は「いいですよね?」と笑った。
問題はない。肯定するために小さく頷く。
あんなにも帰りたいと切望していた故郷にようやく辿り着くことができたというのに、いざ辿り着いてみれば故郷ではない場所へ「帰りたい」なんて思うことはおかしいのかもしれないけれど。
それでも、とにかくわたしは早く帰りたかったのだ。
彼女の構えたボールから一筋の赤い光が伸びて、わたしはボールの中へ収まった。
ボール越しにわたしを見た彼女は、頷いてからもう一方の手をサッと上げる。すると数秒の後にわたしと同じウルトラビースト――ルナアーラが空の彼方より姿を現した。
ルナアーラは自分のトレーナーが背に乗ったのを確認すると、大きな翼を羽ばたかせて軽やかに浮上する。
「ルナアーラ、お願いします!」
彼女の言葉に咆哮を上げて応えたルナアーラは、ウルトラデザートの空をまっすぐに進んでいく。
やがて見えたのは、わたしがいつかここで見たものと同じ空間の歪み――不思議な光を放つウルトラホールだ。
眼前に迫るウルトラホールをボール越しに見据えながら、わたしはここに至るまでのことを思い出していた。
国際警察とやらを名乗るにんげんと、アローラ地方のチャンピオンを名乗るにんげんがの家を尋ねてきたのはおよそ半年前のことだ。
穏やかな昼下がりだった。
窓から差し込む日差しがベッドで微睡むの輪郭をやわく縁取っている。わたしはそのすぐ隣に座って彼女の髪を撫でていた。
蜂蜜のようなとろりとした甘い幸福が胸を満たしている。それがどうにも心地よくて、釣られてわたしまで眠ってしまいそうだ。
そんなことをぼんやり考えていると玄関のチャイムが鳴った。ううんと声を漏らしたが目を擦りながら起き上がる。
のそのそと向かった先のインターホンで、が眠そうな声のまま「はあい」と返事をした。一呼吸置いて、インターホンの向こうの来客が何かを告げる。途端、が「えっ!?」と声を上げて、慌ただしく玄関へ向かっていった。
そのただならぬ様子に胸騒ぎを覚えたわたしは、の背を追いかける。
がドアを開けるとそこには二人のにんげんが並び立っていた。茶色のコートを羽織った大人の男と、ラフな格好の少女だ。
何かを考えるよりも先にからだが動いた。二人の来客との間に割り込んで、わたしよりも小さなからだを庇うように構えて睨みつける。
お前らは一体何者で、ここへは一体何の用か。に害をなすならば、消す。
そう意味を込めてにんげんを睨む。すると、見知らぬ二人は顔を見合せて頷いた。
「わあ、本当にいましたね! フェローチェだ」
「……ウム」
聞くところによると。
アローラ地方ではここ最近、わたしと同じ「ウルトラビースト」に分類されたポケモンの何種類かが各地で目撃されているらしい。
望まずしてこの世界に落とされたウルトラビーストはすべてを警戒しておりとても攻撃的である。だから何か事件や事故が起きる前に、この二人のにんげんとその仲間たちはウルトラビーストを保護――捕獲をしていて、今日ここへ来たのはウルトラビーストがいるという情報を掴んだからとのことだった。
「このフェローチェはさんによく懐いているみたいですね」
と二人の来客それぞれが自己紹介をした後。椅子に座り、の淹れた紅茶を飲みながらアローラ地方のチャンピオン――つまりこのアローラ地方で一番、ポケモントレーナーとして強いのであろうにんげんが言った。背筋をピンと伸ばしたが頷く。
「随分と前、砂浜に倒れていたところを保護したんです。それから一緒に暮らしてて……」
向かいに座るチャンピオンと、自身の隣に座るわたしを交互に見ながらが言う。チャンピオンの隣に座る、国際警察なのだと自己紹介した男が「ふむ」と頷いた。
「あ、あの……。この子は……フェローチェはどうなるんでしょうか?」
どうなるのか――つまり、他のウルトラビーストたちのように保護、もとい捕獲をするつもりなのか。
不安げな表情を浮かべたの問いに、チャンピオンは慌てた様子で両手をぶんぶんと振った。
「ああ、えっと! びっくりさせちゃいましたよね。別に今すぐ捕獲するとか、そういうわけじゃないんです」
すぐではない。つまり、いつかは捕獲される可能性があるということ? 冗談じゃないわ。と、わたしは隣に座るを抱き寄せる。バランスを崩したが「わっ」と声を上げた。
わたしたちを微笑ましそうに見つめるチャンピオンの横で、国際警察の男が口を開く。
「今日ここへ来たのは、ここにいるウルトラビースト――フェローチェがどのような状態であるかを確認したかったからです。この世界に来たばかりのウルトラビーストと同じように気が立っていて危険なのか。危険ではないのか。もしこの世界にあだなす害獣であれば、その存在を……消さなくてはならない」
「け、消すって……」
が絶句する。わたしはをより一層強く抱き締めて、目の前のふたりをキッと睨みつけた。
「もー! ハンサムさんってば……。ほら、フェローチェが警戒してるじゃないですか!」
「む……。ああ、すまない」
チャンピオンの指摘に咳払いをしてから、国際警察の男は言葉を続けた。
「今のはあくまで危険だと見なされた場合の話です」
「き、危険じゃないとしたら?」
がわたしの背に手を伸ばし、薄いベールを撫でた。の手のひらの温もりに、棘立った心が少しだけ落ち着きを取り戻す。
「この子は全然危険じゃないです! いつもは大人しいし、すごく甘えんぼうですし……。そんな危険なことなんて何も」
確かに日頃へ甘えている自覚はあるけれど、その一言は必要なかったと思うの。
そう思ったけれど、がわたしを守ろうとしてくれているのだと思うと嬉しくて肩から力が抜ける。
「危険でないとすれば保護――つまり捕獲をして、元いた世界に帰します」
国際警察の男の言葉に、が「元いた世界に」と小さく呟いた。それが聞こえていたのだろう。チャンピオンが微笑んだ。
「でも、それはウルトラビーストの子が望んだら……です。心の通じ合うトレーナーを見つけて、この世界で生きることを選んだ子もいるんですよ」
「そうなんですね……」
安堵したのか、強ばっていたのからだから力が抜ける。
「見た感じ、このフェローチェは元いた世界には帰る気がなさそう……ですね?」
未だを抱き締めたままでいるわたしを見ながらチャンピオンが言う。だからわたしは力強く頷いた。
その後チャンピオンが説明してくれたのだが、わたしに元いた世界へ帰る意思がなくても、「それではどうぞお幸せに」とはいかないらしい。さすがに今日一日だけのやり取りで「危険はない」と判断する訳にはいかないのだろう。
あの後、二人の来客はにたくさんのことを話してから去っていった。
チャンピオンはウルトラビースト――ルナアーラというらしい――の力を借りて、ウルトラホールを自由に移動できること。
ウルトラホールの向こうは無数の世界に繋がっていて、この二人とその仲間たちはこの世界へ落とされたウルトラビーストをもう何度も元の世界へ帰していること。
そして、もちろんわたしの故郷にも行けること。
それから、既ににんげんと生活をしているわたしが危険な存在かどうかを判断するために半年の期間が設けられたこと。ちなみにその間、この二人が何度か様子を見に来るらしい。
半年後にわたしが危険でないと判断された場合は一度、わたしの故郷といえる世界「ウルトラデザート」に行くこと。
国際警察の男曰く、「せっかく帰る手段があるのだから、どちらの世界で生きるのか、元の世界を見てから判断した方がいいだろう」とのことだった。
二人の来客が帰った後。は「いきなりのことでびっくりしちゃった」と目を瞬かせた。
ええ、そうね。わたしも驚いた。頷いて、の頬を撫でる。
「……半年かあ」
わたしの手を取って、いつになく真剣な眼差しをしたが小さく零した。
「国際警察のハンサムさん……だっけ? が言ってたような、鉄塔を両断したとか、発電所を襲撃した……なんて危ないこと、フェローチェはしてないし。大丈夫だよね」
この世界に落ちたばかりの、と出会う前。その時には何人かのポケモントレーナーと戦いはしたけれど、それはあくまで向こうが挑んできたから。わたしからは何も手を出していない。にんげんの言葉で言うのなら、正当防衛、というやつだ。
の言葉に頷くと、彼女は穏やかに笑った。
わたしが危険かどうかを見定めるための半年という期間は驚くほどあっという間に過ぎ去った。
半年の間、わたしとは今まで通り穏やかな日常を過ごした。変わったことといえば、決められた期間が過ぎてすぐにへ「ウルトラボール」が与えられたくらいだ。
危険ではないと判断されたわたしは、当初の予定通り一度故郷へと帰ることになった。その件について改めて話をした際に、国際警察の男がへウルトラビースト専用だという青いボール――ウルトラボールを手渡したのだ。
「ウルトラホールを通る間、フェローチェにはボールに入っていてもらうことになります。なので、このウルトラボールでさんが一度フェローチェのことを捕獲してください」
国際警察の男の言葉に、チャンピオンが「さん以外が『おや』になるなんて、フェローチェは嫌でしょうし」と付け足した。
よく分かってるじゃない。そう意味を込めて目を向けると、チャンピオンはふふっと笑った。
わたしのことを見透かしているようなその態度は気に入らないが、危険だと判断されてはすべてがおしまいだ。なので何の反応も返さずに大人しくしていると、に「フェローチェ」と呼びかけられた。
トレーナーではない彼女にとって、ボールの手触りや重みは不慣れで新鮮なものなのだろう。は手のひらの中で何度もボールを転がしながら口を開いた。
「ええと。……それじゃあ、いい?」
ボールをしっかりと握りしめたがわたしをまっすぐに見つめる。わたしは屈んでと目線の高さを合わせると静かに頷いた。
の手が伸びて、額にやさしくボールが触れると同時に赤い光に包まれる。捕獲されるというのはどんなものかと思ったけれど、の手によってなされたこともあってか悪くない気分だった。
「フェローチェのゲット、問題なしです!」
「うむ」
「よかったあ……」
が胸を撫で下ろすと、国際警察の男が口を開いた。
「では、三日後にフェローチェを元の世界――ウルトラデザートへ連れて行きます」
「は、はい」
「出発地点はポニ島の月輪の祭壇。ポニの大峡谷を登った先の危険な場所にあるので、さんは私と一緒に自宅で待機していただきます」
「……はい」
こうして今日、わたしはどこか不安そうな表情を浮かべるを一人家に残して、自身の故郷であるウルトラデザートを訪れたのだった。
***
いつだったか、わたしをこの世界へ落としたウルトラホール。それを、今度は自ら望んででくぐる。
この世界へ落ちるためではない。ただひとりの、大切な存在と会うために。
様々な色が混ざりあうぐにゃぐにゃとした不思議な空間を暫し進んだ後、ルナアーラが月輪の祭壇へ続くウルトラホールを通り抜ける。チャンピオンを乗せたルナアーラはそのまま止まらずに、すっかり見慣れてしまったアローラの空を突き進んでいく。
ボール越しに見るアローラの青い空と海がやけに眩しく見えた。
海を渡ったルナアーラは、その目にメレメレ島を捉えると少しずつ高度を落としていく。
わたしは今すぐにでも飛び出したい衝動をグッと堪えてその時を待った。
やがて、島の端にある小さな家の近くへルナアーラは降り立った。
家の前にはと国際警察の男が並んで立っているのが見える。
と別れたのは早朝のことだ。体感時間はそんなに経っていないけれど、ウルトラホールの移動には時差が生じるのか、今は昼を過ぎている。だというのに、まさかずっとそうして待っていたのだろうか。
わたしはボールを飛び出すと、胸を焦がす衝動のままに地を蹴った。瞬きの間にの前へ辿り着くと、たまらずそのからだを抱き締めた。
わたしよりも随分と脆い彼女に怪我をさせてはいけないから。そう思っていつもは細心の注意を払っているというのに、今はその余裕もなかった。
「フェ、フェローチェ?」
慌てた様子のの声を聞きながら、彼女の首に顔を埋めて目を閉じる。
ウルトラデザートで感じた息苦しさはもう、消えていた。
「ええっと、ウルトラデザートで何かあったんですか?」
わたしの様子が心配になったのであろうの問い。それに穏やかな声で答えたのは後からやって来たチャンピオンだ。
「いいえ、何もありませんでしたよ。ウルトラデザートの景色を眺めて、それだけ。……さんと離れて寂しかったんでしょうね」
「そう……。そう、ですか」
は安堵したようにホッと息を吐いた。
「この様子なら、大丈夫そうですね!」
「そうだな。コウミくん、後で詳細な報告をよろしく頼む」
「ええ~……。報告と言われても、すぐに帰ってきたので何もないですよ……」
チャンピオンと国際警察の男の会話を聞きながら、わたしはわたしをこの世界でしか生きられなくしてしまった存在を抱きしめる。
「フェローチェともう会えなかったらどうしようかと思っちゃった」
わたしの耳に届いた小さな声は微かに震えていた。はわたしがそのままウルトラデザートに残る可能性もあると思っていたのだろう。
そんなこと、あるはずがないのに。呆れたわたしは思わず笑ってしまった。
――がいないとわたしは呼吸さえろくにできないことを、あなたは知らないのでしょうね。わたしをこの世界の、それもあなたのとなりでしか生きられなくした責任を取ってよね。
そんなことを思いながらのからだをもう一度強く抱きしめた。
「フェローチェ、おかえりなさい」
嬉しそうなの声に頷く。
ただいま、。わたしはもうあなたから片時も離れないわ。
(20231012)
お題箱の「この二人のその後が気になります…!!」より。