上体だけを起こしたエーフィは、何度か瞬きを繰り返すと大きく見開いた眼で部屋の中を見回す。時計の秒針が刻む音だけが、いやに大きく聞こえていた。
やがて射し込む月明かりに照らされた出窓に眼を留めたエーフィは、暫し呆然とする。夢か現実かの境が、ひどく朧げだった。
出窓の辺りを眺めていたエーフィは、ふるりとまるで何かを振り払うかのように首を振るともう一度瞬きをした。そして背中越しに温もりを感じることに気がつくと、振り返ってその温もりの正体に眼を向ける。隣ではが静かに寝息を立てて眠っていた。穏やかな彼女の寝顔に、エーフィは安堵した様子で小さく息を吐く。
そのまま身動ぎもせずにじっとしていると、眼を覚ました時にはうるさかった心臓が少しずつ落ち着きを取り戻していくのが分かった。額の汗もいつの間にか引いている。
もう一度眠りたい所だが、このままではどうにも眠れなさそうだ。そう思ったエーフィは、のことを起こしてしまわないように気をつけながら音も立てずに軽やかにベッドから下りる。そして長い尾をゆらゆらと揺らしながら窓の下まで辿り着くと、出窓へぴょんと勢いをつけて飛び上がり、そこに腰を下ろした。
そうして窓から覗く白い月を見上げ、思い出すのはつい先ほど見た夢のことだ。内容はもう思い出すことが出来ないが、胸がもやもやするような、何だかとても嫌な夢だったということだけは覚えている。
そのまま暫くの間ぼんやりとエーフィが物思いに耽っていると、ベッドの方でがもぞもぞと動く気配がした。夜空の月に向けられていた視線が、自然とそちらに移る。
「……あれ、エーフィ?どこ?」
僅かに体を起こしたが、そう口にして部屋の中を見回した。そして出窓に座っているエーフィの姿を見つけると、薄い毛布から抜け出しておぼつかない足取りで近寄って来る。
「こんな時間に、どうかしたの?」
が眠そうに目を擦りながら尋ねるので、エーフィは何でもないよ、と平然を装って首を振った。それを見たは首を傾げたが、すぐにふっと笑うと紅藤色のビロードのような美しい毛並みの額にそっと手のひらを乗せた。そして額を何度か撫でた後、そのまま手のひらは額から頬をゆっくりと滑り、顎の下へと辿り着くとそこを優しく撫でる。その心地好さにエーフィは自然と眼を細め、喉を鳴らした。
「……そろそろベッドに戻ろうか。エーフィと一緒じゃないと私がぐっすり眠れないの、知っているでしょう」
エーフィが満足するまで撫でてやったは、最後に両手でエーフィの頬を包んでおどけて言う。エーフィも閉じていた眼を開いて釣られたように笑うと、するりと彼女の手のひらから抜け出して出窓から下りた。
ベッドまで戻り、先に横になったは自分の隣をぽんぽんと叩く。エーフィは長い尾を一度大きく揺らしてから、しなやかな身のこなしでそこに飛び乗った。そして起きる前と同じように丸くなると、その体をすぐにの手が後ろから抱きしめる。
「エーフィの体、温かくて気持ちいいや」
お陰で一緒にいるとすぐに眠くなっちゃう。そんなことを言いながら、エーフィの首の付け根にが鼻先を寄せた。それが何だかくすぐったくて、エーフィは体を捩るとの方へと向き直る。そして今度は逆に彼女の体にエーフィが鼻先を寄せた。
「ねえ、明日は公園にでも行こうか。いっぱい遊ぼう」
背を撫でながら不意にがそんなことを言ったので、エーフィはどうしたのかと彼女の顔を見上げた。
しかしすぐに、「もしかしては口にしないけれど、先程自分が暗い表情を浮かべていたことに気がついていたのだろうか?」と考える。続いてそれなら心配を掛けてしまったのだろうか、そう思ったエーフィは、の提案に「もう大丈夫」という意味と「賛成」の意味を込めてきゅうんと鳴いた。
するとその明るく嬉しそうな声を聞いたは、どこか安心したようにも見える笑みを浮かべてぽんぽんとエーフィの頭をあやすように撫でた。
「よし、決まりね。それじゃあ、明日に備えて寝ないと」
エーフィが頷くと、がおやすみ、と小さな声で囁いてエーフィの体をぎゅうと抱きしめる。
眠りに落ちる寸前で、エーフィは自分の見た夢の一部を思い出した。何故かは分からないけれど、と離れ離れになってしまう夢だった。追いかける内にどんどん彼女の姿が遠くなって、そこで眼が覚めたのだ。
そうして漸く思い出した夢の内容だが、エーフィにとってそれは最早どうでもいいものだった。
お互いの距離がゼロになるくらいにぴったりと寄り添って、その温かな手で抱きしめられていれば恐ろしい夢の内容なんてあっという間にまた薄れていく。
彼女の体温を求めるように、エーフィはの胸に擦り寄る。そしてそこから一定の間隔で聞こえる心音に耳を寄せれば、すぐにエーフィの意識は深い眠りの海に沈んでいった。
穏やかな寝顔を浮かべる二人の傍で、静かに夜は更けていく。
ゼロになる/20160609
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