降り頻る霧雨のせいで、街は活気無く灰色に煙っていた。そんな色褪せて見える街の外れを、一匹のチョロネコが走る。いつもはふわりとしている毛もぺったりとしており、あばら骨が浮き上がる程に痩せ細ったその体のラインを際立たせていた。

 泥を跳ね飛ばしながら細い路地裏を曲がり、道を塞ぐように張られていた金網の小さな裂け目に無理やり体をねじ込む。そうして金網を通り抜けて数歩離れたところで、チョロネコは息を切らせて振り返った。
 するとチョロネコの視線の先、路地裏の曲がり角からはすぐさま三匹のポチエナが姿を現す。どのポチエナの眼もぎらぎらと光り、チョロネコの姿を捉えるや否やその輝きは増した。

 その様子を眼にしたチョロネコは、弾かれたように再び走り出す。金網の向こうではがしゃがしゃというポチエナ達が何とか金網を通ろうとする音と、苛立った鳴き声が響いていた。金網の穴は小さくて、痩せ細ったチョロネコの体だからこそ通り抜けられたのだ。

 どんどん遠くなってゆくポチエナ達の声に、チョロネコはこっそりと舌を出す。それから、ごみ捨て場で漸く食べられそうなものを見つけたというのに。そう小さく息を吐いた。


 野生で生きていく上で、一番大変なことは毎日の餌を確保することだった。それはいつだって他の野生のポケモン達との奪い合いだ。
 先程のポチエナ達だってそうだ。ごみ捨て場で食べられそうなものを見つけたと思ったらどこからか唸り声が聞こえ、そして姿を現したポチエナ達と戦闘になった。

 相手の数もそうだが、何よりポチエナというポケモンはしつこく獲物を追い回す性格だということをしっていたチョロネコは仕方なく見つけた餌を譲ったのだが、ポチエナ達はあまりの空腹に気が立っていたらしく、餌をあっという間に平らげるとチョロネコに眼をつけたのだ。
 そしてそれからずっと追いかけ回されていたのである。

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 チョロネコがへとへとに疲れ棒のようになってしまった足を半ば引きずるようにしながら、街の出口まで来たところだった。
 不意に背後から、この数時間で嫌という程聞きなれてしまった鳴き声が聞こえたのだ。それを聞くと同時に、チョロネコは相手の姿を確認することもなく走り出した。

 そうして街を飛び出し、泥濘だらけの道を走り、叢を抜けて辿り着いたのは、辺り一面真っ白で小さい花が咲く草原だった。
 もつれそうになる足を必死に動かして走ったチョロネコだったが、やがて草に足を取られると投げ出されるかのようにひっくり返ってしまう。霧雨はいつの間にか止んでいて、もう暫くしたら雲間から太陽が覗きそうな少し明るい鉛色の空が見えた。
 そして次に見えたのは、灰色と黒の三つの顔だった。

 あっという間に三匹のポチエナに周りを囲まれてしまったチョロネコは、ああ自分はここできっと死んでしまうのだ。そう思ってぎゅっと眼を瞑り――



「……レパルダス。レパルダスったら」

 耳にすっと入ってきたその声に、レパルダスはぱっと飛び起きた。あまりの勢いに、レパルダスを呼んだ声の主が驚いたように目を見開く。
 飛び起きたレパルダスも同じように眼を大きく見開くと、落ち着かない様子で辺りを見回した。見上げた空は先程まで見ていたはずのあの鉛色ではなくて、美しい青色に染まっている。真っ白の小さな花を揺らす風は、レパルダスの心を落ち着かせるように優しい。

「大丈夫?すっごく魘されていたよ」

 そう言って自分の頬を優しく手で包み込んでくれたパートナーの顔を見ると、レパルダスは安堵したように息を吐き出した。随分と懐かしい夢を見ていた、と。



 レパルダスが、もう自分は死んでしまうのだと思ったあの日。それは三匹のポチエナに痩せ細った体のあちこちを噛まれ、意識を手放しそうになった時のことだった。

「こら!」

 どこからかそんな声が聞こえたと思ったら、突然の声に驚いたらしいポチエナ達はさっと尻尾を巻いて逃げ出していく。そしてそれを霞む眼で追うチョロネコの体が、次の瞬間ふわりと浮き上がった。

「ひどい目に遭ったね。……でも、もう大丈夫だよ」

 微笑みながら、雨と泥で体毛がぺたりと張り付いたチョロネコの額を優しく撫でたのが、今現在レパルダスのパートナーであるだった。

 そうしてに間一髪のところを救われたチョロネコは、今までの生活が夢だったのではないかと思う程にとても大切に育てられた。そのお陰で浮き上がっていたあばら骨も見えなくなり、荒れた毛並みも遥かに艶めいたものになった。
 野生の頃はすぐに逃げだすか負けるかしかなかったバトルも少しずつ勝利を重ねるようにもなり、やがて今の姿であるレパルダスへと進化を遂げたのだ。



「怖い夢でも見たの?」

 に尋ねられたレパルダスは、昔の色褪せた光景を振り払うように平気だと首を振る。それからと出逢った時から変わらない、この辺り一面真っ白で小さい花が咲く草原を見回した。

「ほら、こっちに来て。背中に葉っぱがたくさんついてるよ」

 の笑い声にレパルダスは草原の遥か向こうの空へと眼を向けるのを止めて振り返る。そして手招きをされると、ゆっくりとへと歩み寄った。

「レパルダス、何だかご機嫌だね。さっきは寝ていたと思ったら魘されだすからびっくりしちゃったけれど」

 左右にゆっくりと機嫌よく揺れる尻尾と嬉しそうに細められた翡翠色の眼を見つめながら、レパルダスの背中の葉を払うがそう口にすると、レパルダスは喉を鳴らした。
 確かにこの場所には嫌な思い出もあるが、何よりと出逢えた場所だ。そんな特別な場所に自分の一番に好きな人と一緒にいる。それだけでレパルダスの心は暗い影を潜めて軽やかに弾むのだ。


 葉を落とし終えたが陽射しを受けて艶やかに光る紫色の額を指先で撫でると、先程よりも大きな音でごろごろと喉を鳴らしたレパルダスがお返しと言わんばかりに、の頬をぺろりと舐める。

「ふふ。私もご機嫌だよ」

 だってレパルダスと一緒だもん。そう言ってが手のひらでレパルダスの頬を再び両手で優しく包み込むと、レパルダスは穏やかに鳴いた。

 二人は幸せそうに見つめ合うと、それからそっとお互いの額を合わせて微笑んだ。たったそれだけで、まるで魔法がかかったように二人の心は一層幸せな色に染まってゆく。


こころはそうして塗り替えられる/20160214企画リクエスト



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