いつの時代からそこにあったのだろう。リュウラセンという名の塔はイッシュ地方最古の塔と伝えられるだけあって、その内部は所々崩壊してしまっている。
 そんな決して安全とは言えない塔の一番上。崩れた天井から眩しい太陽が光を落とす場所に、まるで雨雲のように真っ黒な影が降り立った。こくいんポケモン、ゼクロムだ。大きな体からは想像もつかない程に軽やかにゼクロムが足をつけると、ふわりと風と共に砂埃が舞い上がる。

 そしてゼクロムが体を屈めると、その背から一人の人間が同じように地面に降り立つ。

 「ありがとう、ゼクロム」

 太陽の光に照らされた漆黒の体は、淡く光っているように見えて神秘的な雰囲気を纏っている。その神々しさに眩しそうに目を細めながら、ゼクロムの足に優しく触れた彼女の名前はだ。

 ゼクロムはその言葉に応えるかのように身を屈めたままと視線を合わせ、そして低い声でぐるうと鳴いた。

「今日もこの場所は風が気持ちいいね」

 風が遊ぶ髪を、ゼクロムの足に触れたままの手と反対の手で押さえながらがそう口にする。
 の言葉通り、リュウラセンの塔の最上階のこの場所に吹く風は穏やかだ。天気も澄み渡るような快晴で、この静かな空気を壊すものは何もない。

■■■


 ゼクロムというポケモンは、理想を追い求める心を感じ取って姿を現すという。ゼクロムと、二人が出逢った日もそうだ。
 その頃は丁度イッシュ地方を拠点に暗躍する組織、プラズマ団の活動が活発になってきた頃だとゼクロムは記憶している。その野望を阻止すべく、強い理想を抱いてこの場所を訪れたのがだったのだ。


 そしてゼクロムが感じ取り、また、がゼクロムに告げた自分が抱く理想。それは人間とポケモンがお互いを想い合い、対等でいられることだった。

 「――だから、お願い。私の理想を叶えるために、プラズマ団の野望を阻止するために、あなたの力を貸してほしい」

 初めて逢った日の、そう告げた時のの揺るぎない真っすぐな眼差しを、今でもゼクロムははっきりと覚えている。


 そうしてゼクロムの力を借りたは、何度も熾烈なバトルを乗り越えて漸くプラズマ団を壊滅させるに至った。それが、今から二年程前のことだ。
 しかしプラズマ団が壊滅したと言えど、それでも世の中にはやはりポケモンと対等な関係を築こうとしない人間は悲しいことにたくさんいる。例えばポケモンを違法に売り飛ばす人間だったり、惨い実験に使ったりと様々で、プラズマ団だってその一角に過ぎないのだ。

 そのため、ゼクロムとはまだこうして共に過ごしている。今日だって、つい先ほどまでプラズマ団の残党とバトルをしてきた所だった。


「……ゼクロムは」

 不意にが口を開いたので、ゼクロムはと出逢った時のことを思い出すのを止めにして、に視線を落とす。はゼクロムの隣に腰を下ろすと、漆黒の大きな足に背を預けながら空を仰いだ。

「二年前に、私が口にした理想をまだ覚えてくれてる?」

 突然のの質問に、ゼクロムは僅かに眼を見開いた。質問が急だったこともあるし、何より今し方が口にした理想を思い出していたからだ。まるで自分の心を見透かしたかのようなタイミングに、驚いたのである。
 それからゼクロムは呆れたような表情を浮かべると、はあと溜め息を吐く。覚えていなければ、自分は今この場所に、の隣にいないだろう、そう言いたかった。

「もう、呆れないでよ。変な質問をしたなって自分でも思うけれど」

 そう言ってが苦笑したので、ゼクロムは釣られて小さく喉で笑った。

「私の理想は二年前と変わらないまま、人間とポケモンがお互いを想い合い、対等でいられること、だけど」

 の言葉が少しずつ小さくなっていく。それでもゼクロムの耳はの言葉を一字たりとも逃さずに、全てを正確に拾っていた。

「私はいつもゼクロムに助けられてばかりだし、頼ってばかりだよね」

 ゼクロムはが何を言いたいのかを上手く掴めずにいた。思わず微かに首を傾げてしまう。するとそれを見たが、ええと……、だとか、だから……と歯切れの悪い言葉を口にした。そして稍あってから、意を決したように口を開く。

「つまりその、私もゼクロムにとって頼りになるような、パートナーになりたいの!あなたは神話に登場するようなポケモンだし、未だにゼクロムが私の前に現れてくれたのが信じられないって思う時もあるし、対等っていうのはおこがましいかなとか思うけれど……私はゼクロムと歩いていきたいから……!」


 その言葉を聞いて、ゼクロムは漸くが今日のことを気にしているのだと気が付いた。

 今日プラズマ団の残党とのバトルをした際、はバトル中に不意打ちで他の団員のポケモンから攻撃を受けそうになった。それを咄嗟に庇った結果、ゼクロムは傷を負ったのだ。
 ゼクロム本人からすればその傷は負ったことすら忘れてしまいそうな程のかすり傷で、に心配させないようにと気にした様子も見せなかったのだが、それが却ってには怒っているように見えたのだろう。そのため今日のことをずっと気にしていたらしい。

「私、もっと頼りになるようなトレーナーになるから、ゼクロムにまだまだ一緒にいてほしい……お願い」

 黒い体によく映える赤い双眼がをじっと見据えると、彼女は不安そうな色を瞳に浮かべる。それを見て、ゼクロムはいよいよ肩を揺らして笑ってしまった。がその様子に先程の不安そうな表情とは一転、ぽかんとした表情を見せる。

 そんなにゼクロムはどうしたものかと考えて、それから躊躇いがちに大きな手を伸ばすと、そのままひょいと抱き上げた。その漆黒の背中に乗ったことは何度もあるが、抱き上げられたことは無かったが驚いて目を見開く。

「えっ?どうしたの?な、何?」

 慌てふためくを他所に、ゼクロムはの顔の辺りにそっと自分の頬を寄せた。

 ゼクロムはその体の大きさからか、伝説に語り継がれる存在であるということを自覚しているからか、今までに進んで触れるようなことはあまりなかった。
 の手持ちの仲間達が彼女に甘える所を見て、人間とポケモンがお互い幸せそうに触れ合うのはいいものだなと思ったことはあっても、自分がそうしようと思うこともできなかった。
 
 それでも今、こうすることでの不安が消えるのならば。そう思ったのだ。そんなゼクロムの心を感じ取ったのか、恐る恐るが自分の頬をゼクロムの頬に触れさせる。

 全く違う二人の体温が混じって段々と同じものになってゆく感覚に、ゼクロムの喉が微かに上下して機嫌良さそうに鳴った。それを聞いて、思わずの顔が綻ぶ。少し前までそこにあったはずの暗い影は、もう微塵も見当たらなかった。


 とうにゼクロムはのことを頼りになるとも思っていたし、信頼に足るパートナーだと思っていたのだ。滅多にこんなことは出来ないが、このように心を許して甘えるなんて柄にも無いことが出来る、くらいには。

大丈夫、となりにいるよ/20160205企画リクエスト



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