「なら大丈夫だと思うけど、大切にしてあげてね」
そう言って笑った友人の顔を思い出すと、は徐に立ち上がった。それから意を決したようにモンスターボールの開閉スイッチにそっと触れると途端に軽い音が響き、ボールが開くと同時に赤い光が中のポケモンの姿を形どる。
元気よく鳴き声を上げて姿を現したのは、小さなミジュマルだった。ぱちぱちと瞬きをすると自分が今見知らぬ場所にいることに気がついたようで、辺りを興味深そうに見回す。それから眼の前に立つを濡れた瞳で見上げると、もう一度鳴き声を上げた。
「ええっと、私は。よろしくね」
ミジュマルと視線を合わせるようにしゃがんだがぎこちなく笑いながらそう告げると、ミジュマルは胸を張って自分の腹にあるホタチをぽんと叩いて見せた。しかし胸を張りすぎたのか、勢いよくホタチを叩きすぎたのか、ころんとひっくり返ってしまう。が慌てて体を起こしてやると、ミジュマルは照れたように笑ったのだった。
そうしてこの日から始まったミジュマルとの生活だが、はミジュマルに困らせられてばかりだった。
何せミジュマルは好奇心旺盛な性格なのか、少しでもが目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうのである。その上あれこれと悪戯をしては怪我をしそうになるので、の気が休まる暇が無いのだ。
この前はリビングのテーブルに飾ってある花瓶をひっくり返して床が水浸しになったし、外へ出れば昼寝をしているチョロネコの尻尾をミジュマルが踏みつけてしまって追い掛け回された。公園へ連れて行けば日向ぼっこをしているワタッコの群れに近付いていってしびれごなを撒き散らされそうにもなったりもしたのだ。
その度はミジュマルに勝手にどこかへ行ったり悪戯をしないようにと注意をするのだが、ミジュマルはその言葉を聞いているのかいないのか、にこにこと笑ってはまた悪戯をするのである。
これにはも流石に困ってしまい、ある日ミジュマルを贈ってくれた友人のことを小さなカフェに呼び出した。
「遅くなってごめんね!それで、今日はどうしたの?」
そう言いながら座った友人に、は実はミジュマルのことで、と切り出した。
「全然言うことを聞いてくれないの。私、ポケモンを持ったことがないから、こういう時どうしたらいいか分からなくて……」
「ミジュマルが?言うことを聞かないっていうのは、野生のポケモンと戦っている時とか、そういうこと?」
友人の言葉には首を振る。
「ううん。そうじゃなくて、いつも悪戯ばかりするの。ミジュマルがそれで怪我をしそうになったこともあるから、悪戯はしないようにって注意をするんだけど、またすぐ悪戯しちゃうんだよね」
の話を聞いていた友人は、信じられないといった様子で目を見開いた。
「にとって初めてのポケモンだし、ちょっとおばかなとこもあるかもしれないけれど、素直な性格の良い子を選んだんだけどなあ。に渡す前にも、のことを助けてあげてねって言ったら元気よく頷いていたし……」
腕を組んで友人が首を捻る。は自分の隣に置いている鞄の中のモンスターボールをちらりと見遣った。ミジュマルはどうして悪戯ばかりして自分のことを困らせるのだろう。それはいくら考えても、には分からないことだった。
それはよく晴れた日のことだった。太陽はここのとこずっと朝からさんさんと輝いていて、もミジュマルも茹だるような暑さにバテ気味になっていた。この暑さで流石にミジュマルもあれこれと悪戯をする元気は無いのか、リビングの冷たい床で扇風機の風に当たりながら伸びている。そんなミジュマルをちらりと見ながら、は昨日こっそりと買ったものを手にリビングから庭へと出た。が庭へと出たことで、伸びていたミジュマルもむくりと起き上がると庭へと近寄る。
が昨日こっそりと買ったもの、それは小さなビニールプールだった。折りたたまれたビニールプールを広げ、ポンプでそれを膨らます。ミジュマルはが何をしているのかが分かると、途端に眼を輝かせた。ビニールプールを膨らませ終えると、はミジュマルに手招きをする。そして大人しくミジュマルがやって来ると、ミジュマルをビニールプールの中に座らせてやってから水道に繋いだホースで水を入れた。
冷たい水が気持ちいいのか、ミジュマルは元気よく飛び跳ねては大きな声で鳴く。そうして並々と水を張り終えたプールではしゃぐミジュマルに、少しは暑いのもマシになったかとが尋ねると、ミジュマルは大きく頷いた。
「そう。良かったねえ」
が笑うと、ミジュマルははしゃぐのを止めての顔をじっと見つめる。突然のことにが首を傾げると、ミジュマルは何故か泣きそうな顔をすると同時に、なんとビニールプールに向かってしゃがみ込んでいたの手を勢いよく引っ張った。少し前のめりになっていたは、あっさりとビニールプールの中に倒れこんだ。ざんざんと音を立てて水が逃げていく。
「ちょっと……!」
そう言っていつものようにミジュマルを叱ろうとしただったが、自分の隣に飛び込んだミジュマルがけらけらと楽しそうに笑うのを見て、ずぶぬれになったのも忘れてつい釣られて笑い声を上げてしまった。
「もう!本当に悪戯ばかりするんだから……」
笑いながらミジュマルを抱き上げたは、こうして声を上げて笑うのは久しぶりだと思った。何せ仕事一筋で、ミジュマルと暮らすようになってからもそれは変わりなく、いつも忙しくてくたくたに疲れていたのだ。そこであることに気がつく。
先程自分が笑った時にミジュマルが何故か泣きそうな顔をしたのは。ミジュマルが悪戯ばかりをして困らせていたのはもしかして。そこまで考えて、はミジュマルを抱きしめると思ったことを尋ねた。
「……ねえ、もしかしてミジュマルは、私のことを笑わせようとしてくれていたの?」
花瓶をひっくり返して水で滑って転んでいたのも、チョロネコにぐるぐると追い掛け回されていたのも、ワタッコにしびれごなを撒かれる前にわたほうしで白い綿毛塗れになっていたのも、その他のことも全部。
の言葉に、ミジュマルは困ったように笑う。それを見て、は泣きたい気持ちになった。ミジュマルはの元へとやってくる前に、友人に「のことを助けてあげてね」と言われた通り、いつも疲れた顔をしているのことを笑顔にしようと、助けようとしてくれていたのだ。
がありがとうと告げると、ミジュマルも安心したように眼を細めた。その笑顔に、はまた心の奥底から笑みを浮かべる。太陽の眩しい光が降り注ぐ庭で、二人の楽しそうな笑い声が響いた。
えがおの魔法
20150812/2013七夕企画
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