少しだけ、ヌオーの元気が無いということは何と無く分かっていた。その理由も、分かっている。

「だめ!」

「……そんな顔しても、だめ」

「また今度……ね?」

最初はきっぱりと強く断っていたの言葉も、ヌオーのしょんぼりとした顔を見ているうちに少しずつその勢いを無くしていく。釣られたようにもしょんぼりとした表情を浮かべると、しゃがみ込んでヌオーのぺたぺたとする頬を撫でた。するとヌオーはぬ、と小さく鳴き声を漏らす。

「……私もヌオーと水遊びをしたいんだけどね、さすがにこの時期は風邪を引いちゃう」

そう、先程からが断っていたのは、ヌオーと水遊びをすることだった。ヌオーは水辺に棲んでいるポケモンなだけあり、この寒い季節でも構わず水遊びが大好きなのだ。暑い夏の季節なんかは庭で水を撒いて一緒にずぶ濡れになったりもしたが、寒い冬の日ではそうもいかない。

ヌオーも勿論それを分かってはいるのだが、どうしてもと水遊びをしたかったのだ。ぷう、と可愛らしく頬を膨らませたヌオーには笑うと、ヌオーの頭を撫でた。ヌオーは先程のように小さく鳴き声を漏らす。そんなヌオーの顔を暫し見つめていたは、不意にあ、と小さく声を上げるとヌオーの手を取った。

「そうだ!ヌオー、散歩にでも行かない?」

の提案にヌオーはこてりと首を傾げたが、すぐにぱっと顔を輝かせると頷いた。決まりだね。そうは言って立ち上がると、すぐにリビングの椅子に掛けていた厚めのコートを羽織る。それからマフラーを手に、早く早くと急かすヌオーと外に出たのだった。

***


厚いコートの上からでも感じる肌寒い空気に肩を震わせながら、は河沿いの土手を歩いていた。春になれば美しい桜が咲くこの土手も、今の時期は少し寂しいものだ。の隣を歩くヌオーは時折冬の空気にひくりと鼻を動かしたり、ふんふんと鼻歌を歌ったりしている。はヌオーの楽しそうな様子に顔を綻ばせると、ヌオーに声を掛けた。

「肌寒いけれど、散歩に出て良かったね」

ヌオーはの声にぴくりと反応すると、河へと向けていた視線をへと向け、それからぬう、と機嫌良く頬を緩めて鳴いた。締まりの無いヌオーの表情には思わず吹き出してしまいながら、ヌオーの手を取る。ぬるりと滑るのが特徴でもあるヌオーの身体だが、ヌオーもの指先をぎゅう、と握るので二人の手が離れてしまうことは無い。

「ヌオーがまだウパーだった頃に、この河で私と出逢ったんだよね。覚えてる?」

川沿いの土手をゆっくりと降りながらがそう口にすると、ヌオーはの手を握ったまま、静かに流れる河の水面を見つめながら頷いた。河の水は透き通り、冬の少し鈍い陽射しを優しく照り返している。遠くで、コイキングがぴしゃりと跳ねるのが見えた。

土手を下り切ると、はヌオーの手を引いて河に沿って歩き出した。しかし不意にヌオーが足を止めたので、自然との足も止まる。ヌオーの少しだけ前を歩いていたは、振り返ると首を傾げた。

「どうしたの?」

が尋ねると同時に、左右にゆったりとした動作で揺れていたヌオーの尾がぱたりと止まる。そしてヌオーはへと眼を向けると、と繋いだ手はそのままに、少しだけ背伸びをしてどうしたのかと自分のことをじっと見詰めているの身体に額を寄せた。厚いコート越しにぐいぐいと頭を押し付けられ、が少しよろめく。

「わっ、ヌオー、ストップストップ!」

慌てたがそう声を掛けてもヌオーは頭を押し付けるのを止める所か、ぐいぐいと更に頭を強く押し付ける。やがてヌオーの力に負けたがバランスを崩し、ヌオーの手を離すと背丈の低い草が疎らに生えている柔らかな地面へと尻餅をついた。

「いたた……」

尻餅をついたまま腰の辺りをが摩ると、ヌオーはの顔を見つめ、それから口を大きく開けて笑った。ヌオーがけらけらと笑っている様子に態とらしく顰めっ面をして見せただったが、すぐに釣られるようにして笑う。

ヌオーと初めて出逢った時、まだウパーだったヌオーが突然叢から飛び出してきて、それに驚いたは今のように尻餅をついてしまったのだ。その様子を、まだウパーだったヌオーはやはり今のように大きく口を開けて笑ったのである。と出逢った時のことを忘れてしまう訳が無いだろう、と、ヌオーはあの日の真似をしたのだった。

「ウパーだった時と、今じゃ力の強さが違うんだから。少しは手加減してくれないと」

笑いながらがヌオーの頬をむに、と摘むとすぐにぬるりと手が滑ってしまう。ヌオーは眼を閉じてと鳴くと、座ったままのの身体に先程よりも優しい力加減で頭を押し付けた。押し付けられたヌオーの頭を何度か撫でると、は服に付いた小さな草や砂を払いながら立ち上がる。

「もう。さっきまでは凄く寒かったのに、寒さがどこかに行っちゃったよ」

ヌオーはの声を聞きながら口に手を当てふふんと笑うと、の手をそっと取った。その手を滑らないように握り返しながら、が口を開く。

「折角だから、少し遠回りして帰ろうか」

の提案にヌオーの尻尾が左右に揺れる。ヌオーも少し遠回りをして帰りたい気分だったのだ。何だか自分の心が自然にへと伝わっていたような気がして、ヌオーは機嫌良く何度も短く鳴いた。そんなヌオーの様子に、の顔も綻ぶ。

「良かった!……そういえばね、この先の道を曲がった所の自販機でお汁粉が売ってたんだ。買って帰ろうかなあ」

他愛の無い話をしながら、とヌオーは同じゆっくりとした歩調で歩き出す。枯れ葉をそっと舞い上げて吹く風は冷たいが、そんな冷たさはすっかり気にならなくなっていた。

──と並んで歩きながら、ヌオーはそっと考える。冬も良いけれど、早く春が来ますように。そして春になったら、桜が咲いて賑やかになるだろうこの道をこうして手を繋ぎながら歩きたいなあ、と。

春待つ青/20140112
2013七夕企画



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